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第3回 「いいモノを作れば売れる」神話はどこから来ているのか?

この第3回では、日本のものづくりが大切にしている「技術・品質へのこだわり」と顧客との関係について考えます。

本連載記事の主旨はこちらをご覧ください。

 (1)日本のものづくりは「プロダクトアウト」か?

「日経ビジネス」記事より

伊藤:近年、「日本のものづくりはプロダクトアウトだからだめだ」といったようなことを聞くようになりました。

奈良:東南アジア、南米、アフリカなどの経済新興国で日本の製品やサービスを売っていこうとするとき、「日本の製品は機能が多すぎる」「品質が過剰すぎる」といったことの延長として、「技術が先行しがちで、その国や地域のマーケットニーズに合っていない」というような文脈で言われますよね。 

伊藤:そうなんです。日本のものづくりには、「いいモノを作れば売れる」という作り手主体の発想が昔からあって、どういうわけか、そこからなかなか抜け出せていない気がするのですが。

奈良:戦後、モノがまるでないところから再出発した日本の産業界は、とにかくモノを生産することを重視し、その次はモノの品質の良さや機能の多さを実現しました。その技術力にはマーケットから多大な信頼を寄せられていた時代がありましたので、そのような発想は根強くあるかと思います。

ただし、そのような作り手主体の発想で市場に製品・サービスを投入することを、必ずしも「プロダクトアウト」というわけではありません。

伊藤:「プロダクトアウト」は、顧客のニーズよりも、作り手がいいと思うものを作って売るという考え方だと思っているのですが、違うのですか?

奈良:たしかにその要素はあるのですが、それだけではありません。むしろそこから先が大事で、作り手がいいと思って作ったものが、新たな市場を開拓する可能性をはらんでいることが重要です。 

伊藤:新たな市場を開拓する可能性ですか・・・。

奈良:そうです。経営学の用語で「プロダクトアウト」を定義すると、「自社の強みやリソースを活かした製品やサービスで、潜在的なニーズへアプローチすること」となります。 

「世の中にこんなものがあったらいいな、それを実現する技術がうちの会社にはある」という思いで作ったものは、既存市場には存在しないものなので、差別化された革新的な製品となる可能性もありますが、必ずしも顧客に受け入れられるとは限りません。顧客にとって未知の製品ですので、製品を見るまで、あるいは使っている人を実際に見るまで、欲しいかどうかは判断ができないのです。

しかし顧客がその製品を見て、使っている人を実際に見て、「今までなかったけど、たしかにこういうものがあったら便利だよね、欲しいね」と思う。これを潜在ニーズへのアプローチといいますが、そのニーズが高まったとき、新たな市場が誕生したことになります。 

伊藤:成功すればかなりの利益が得られますが、失敗に終わるリスクも高いということですね。つまり難易度がかなり高いと。

奈良:そうです。対の概念である「マーケットイン」と比較するとわかりやすいかもしれません。「マーケットイン」は「顧客の問題解決に応える製品やサービスで、既存マーケットで顕在化するニーズへアプローチする」となります。 

市場調査や顧客へのヒアリングで、既存製品で顧客が実現したいことや解決したいことを突き止め、それらに応える製品やサービスを提供しますので、あらかじめ市場規模も分かっていて、売上の見通しも立てやすいというメリットがあります。一方で、競合他社に真似されやすく差別化できなくなるリスクもあります。

伊藤:なるほど。たとえばテレビで新機種を出しますといった場合、既存のテレビに対して利用者(顧客)にどのような要望があるかを聞いて、それに沿う形で価値を提供し続けるのが「マーケットイン」。

一方、テレビとは違うあるものによって、テレビにはない価値を提供し、人々の生活空間や時間がテレビに置き換わっていく、人々の行動が変わっていくようなものが「プロダクトアウト」というわけですね。だから携帯電話に取って替わったiPhoneは「プロダクトアウト」の好例なのですね。 

(2)  実は日本のものづくりは「マーケットイン」??

伊藤:そうすると、日本のものづくりが「プロダクトアウト」だというのは、ちょっと違うというわけですね。どちらかといえば「マーケットイン」に近いのでしょうか?

奈良:そうですね、既存製品を技術力で高品質、多機能にブラッシュアップしていくことが得意であることを考えると、そうかもしれませんね。ただし、きちんと顧客の声に耳を傾けている必要はありますが。 

「プロダクトアウト」「マーケットイン」という言葉は、どちらかというとマーケティングサイドの用語かと思います。もう少し技術サイドの言葉でいうと「イノベーションのジレンマ」で有名なクレイトン・クリステンセン教授が唱える「破壊的イノベーション」と「持続的イノベーション」の「持続的イノベーション」といった方がしっくりくるのでははないでしょうか。

Wikipediaより

「イノベーションのジレンマ」とは、業界のトップになった企業は、さらに顧客の期待に応えようと、顧客の声に耳を傾けて技術革新(持続的イノベーション)を追求するあまり、台頭してきた破壊的な技術革新(破壊的イノベーション)の価値とその市場の魅力に気がつかず、より高次のイノベーションに立ち遅れるというものです。

破壊的な技術革新の価値や市場の魅力に気がつかないのは、破壊的な技術が台頭してきた当初は業界トップの成熟した技術から見ると未熟でもの足らず、業界トップ企業が見過ごしていたターゲットにリーチするため市場規模も小さく、注目されにくいという特徴があるからです。

これはまさに、日本の携帯電話業界(持続的イノベーション)とiPhone(破壊的イノベーション)の関係と言えるのではないでしょうか。 

(3)「いいモノを作れば売れる」は、鎌倉時代に台頭した新仏教にルーツが!?

伊藤:すると日本のものづくりの技術へのこだわりというのは、良くも悪くも、顧客なり市場なりの何かしらの要望や希望に応えようとしたもの、あるいはそういうものを想定していてこそ意味があるということですね。

奈良:おっしゃるとおりです。そのような技術へのこだわり、さきほど伊藤さんがおっしゃった「いいモノを作れば売れる」という発想は、ものづくりの先に想定された顧客がいたということではないかと、私は思っています。

ここから今日の本題に入るわけですが、そのような発想は、鎌倉時代の新仏教の台頭とともに始まったのではないかというお話しをしたいと思います。

伊藤:鎌倉時代の新仏教ですか?それはまた意外なところへ飛びますね。鎌倉時代の新仏教というと高校の日本史で学んだ親鸞とか日蓮とかあのあたりでしょうか?

奈良:そうです。一橋大学の名誉教授でいらっしゃる寺西重郎先生という経済学者は、宗教と経済行動の関係について研究をされていて、複数の著書を出されています。
(以下、特に出所を記載していないものについては、次の3冊を参考としています。寺西重郎著「経済行動と宗教」「日本型資本主義 その精神の源」「日本資本主義経済史 文化と制度」)

その研究によると、鎌倉時代の新仏教の台頭によって、それまで国家のための宗教だった仏教が民間のための宗教となり、仏道修行が日常生活の中で、あるいは職業生活の中で行われたというのです。

特に職業生活の中で技術を極めていくことが、仏教的な徳を積むということにつながったというのです。そのようにして作られたものが評価され、商人によって別の場所に運ばれ、売られていたのではないかという説を読んだとき、「いいモノを作れば売れる」という発想のルーツがここにある!私には、そう思えたのです。 

伊藤:それは興味深い説ですね。

奈良:はい、寺西先生の著書や研究内容そのものは、従来の仏教に関する研究なども参考にされながら、仏教の教義や考え方にも踏み込んだかなり難解な内容なので、ポイントだけをかいつまんでお伝えしたいと思います。

(4) 「一芸に秀でれば悟りを得られる」という考え方

職業的求道主義:一芸に秀でて、他者からの評価を得てより善く生きる 

親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派本山 西本願寺ホームページより

奈良:仏教の世界では、人や動物は生前に積んだ徳や罪によって、死後、六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)のいずれかに生まれ変わります。これを輪廻転生と言いますが、苦しみが伴うものなので決して歓迎されず、むしろそこから抜け出すことがよしとされています。これを解脱といい、解脱は悟り(迷いを根底から払い、真理に目覚めること)によってもたらされるもので、修行は悟りを得るための行だと考えられています。

それまでの仏教は鎮護国家つまり国のための宗教で、このような修行は、国が定めた僧にしか許されていいませんでした。 

ちょうど釈迦が入滅してから2000年が経ったころ、釈迦の教えが行き渡らなくなるとされる末法思想の時代が、源平の騒乱やいくつもの天災などと重なり、社会が不安と混乱に陥りました。そこに登場したのが、さきほど伊藤さんがおしゃった親鸞、日蓮、道元などによる新仏教です。

新仏教は不安と混乱に陥った民衆に、出家による難行苦行ではなく、日常生活の中で精進することで悟りが得られると説いたそうです。 

伊藤:日常生活での精進とは、具体的にはどのようなことをするのでしょうか? 

奈良:僧侶へのお布施ですとか、身近な他者に対する心遣い、職業での研鑽といったことだったようです。 

伊藤:お布施は現代でもお寺に対して行いますので何となくわかるのですが、身近な他者に対する心遣い、職業での研鑽というのが、面白いですね。

奈良:そうですよね。この研究では、職業での研鑽によって悟りを得ようとすることを「職業的求道主義」と呼んでいますが、それによって「一芸に秀でる」ことが何よりも重要だったようです。

日常生活での精進による修行では、8つの苦と言われる誕生(再生)、老い、病気、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦のうち、後半4つが人間関係によって生まれる苦しみであるとし、苦しみの原因となる行動を慎むことに焦点が当てられました。

そのため、自分の言動が他者へ与える影響や他者からの評価に注意を払い、日常生活で心身を整え、職業に励み、経済活動を行っていたというのです。ですので、経済活動は単に生活の糧を得る、経済上の利益を得るという結果だけではなく、人間関係への配慮、つまり身近な他者に対する心遣いというプロセスが重要だったようです。これを「有徳の身」と言っています。 

伊藤:すると当時の人々にとって、職業を通じて一芸に秀でて、経済活動の中で他者の期待に応え、評価されることが重要で、それが悟りに通じていたということですね。両者がなんとなくつながってきました。もう少し具体的に、当時の事象や事例のようなものがあると分かりやすいのですが。

奈良:私もそう思って寺西先生の一連の著作に一通り目を通したのですが、事象や事例のようなものは挙げられていないのです。何を根拠にいっているのかが、いまいち分からないというのが正直なところです。

ただ、そのような生活の結果として、研鑽した技術や技能を表現する人や職業が現れた、と言っています。それが白拍子、猿楽、田楽、獅子舞といった漂白の芸能の民や、鍛冶、番匠、鋳物師、経師、絵師、壁塗などの手工業に携わる工人・職人、茶道、華道、造園といったその道に秀でた人々です。 

番匠(ばんじょう)の図:『職人絵尽〔えづくし〕』(久保田米齋編、風俗絵巻図画刊行会、大正6、7年)より(「図説尼崎の歴史」ホームページより

ちょうど武士の時代でもあり、武士たちが武術の研鑽に情熱を注いだこととも重なり、芸能や道もの、手工業で優れたパフォーマンスや製品を追求し一芸に秀でることに価値が置かれたのではないかと思います。

伊藤:たしかに室町時代に入ると世阿弥が出てきますし、金閣寺を作った大工や職人などもいたでしょうし、前回の製鉄でもありましたが、日明貿易で美術品工芸品として刀剣を輸出していたといった話とも合いますね。

奈良:そうなんです。そしてもう一つ重要なことは、このような人たちの技術や技能を評価する“目利き”の存在があったということです。中学や高校の古典の授業でお馴染みの兼好法師の『徒然草』では、道を極めようとする人々の逸話が、高い評価と尊敬の念を持って語られています。

そして今伊藤さんがおっしゃった世阿弥は、まさに表現者であると同時に、するどい鑑賞眼で自身や一門の芸を磨き上げた人でした。それをとりまく足利将軍や、その寵愛を得ようとする他の芸能集団たちもある意味“目利き”であり、そのよう環境の中でそれぞれが芸を極めていったと考えられます。

「文化デジタルライブラリー」ホームページより(日本芸術文化振興会)

伊藤:なるほど、“目利き”というのは、表現者自身であり、そのライバルであり、身近な顧客あるいはパトロンであり、現代でいう第三者的な批評家・評論家だったということですね。

奈良:もともと死後再び生まれ変わらないように始めた職業的求道(修行)でしたが、目利きの人たちに評価されることがモチベーションとなり、今の生をより善く生きるという前向きな生き方へと変化していったようです。それは競争によって他者を排除するのではなく、自己研鑽の結果を相互に評価し合う仕組みだったからこそ、成り立ったとも言えます。 

手工業に関していえば、そのような評価者が仲介者(商人)や需要者(顧客)となり、需要者(顧客)の好みや要望に応える形で需要主導型の商業活動へと発展していきました。

伊藤:それがいよいよ、顧客の声に耳を傾け品質にこだわる現代のものづくりに通じるわけですね。

(5) 全国各地で定着した職人と商人を介した顧客への製品提供

商人を介した顧客の期待に応えるものづくりの発展

奈良:ここからは手工業の担い手であった工人・職人と、彼らによる製品を流通させる商人について、少しお話ししたいと思います。

手工業の担い手であった工人・職人というのは、平安時代の中頃までは、国営企業のような官営工房に属している専門的技術者だったようです。ところが、律令体制による中央集権的な支配が衰え、大貴族や大規模寺院による荘園での支配へ移っていったことによって、官営工房の専門的技術者たちが、荘園の私営工房に流れて行きました。

荘園による私営工房では、そのような専門的技術者が市場に向けたモノを生産し、各地へ移動販売をしていたようです。次第に原料が手に入る土地に定住し、そこで自ら仕事場を立ち上げて、家族で生産に取り組んだと考えられています。特に戦国期では、武家による領国支配で各都市の市場が発達し、日常的な商品の交換の場として発展したことで、各地に手工業者が定着していきました。

伊藤:実際にはどのようなモノを作っていたのでしょうか? 

奈良:必ずしも贅沢品ではなく、瀬戸・常滑・備前・亀山などの日常品としての陶器もあったようです。一方で支配階級の求めに応じてつくったものもあり、刀剣ですとか、高級な釜、白粉などもありました。金属系では鍋、鋤、鍬などもあったようです。

ここで注目しておきたいのが、専門職として手工業者の存在が確立していくと、生産する集団と販売する集団は厳しく分離されたということです。生産する集団は専門職としての技術や技能を効率的に高めるために、生産に専念したと考えられます。一方、販売する集団は顧客の好みや要望に関する情報、市場状況を把握して販売にあたったということです。これがいわゆる商人です。

伊藤:すでにこの時代に、営業部隊と製造・生産部隊は分けられていたのですね。

奈良:そのようです。ところが手工業者(生産する集団)は、商人(販売する集団)の支配下におかれていたというのです。領主が販売側に課税していたため、販売側はその見返りとして独占購入(仕入れ)権を手に入れていたことと、何より顧客である権門貴族や大名の好みや要望といった情報を一手に持ち、それを手工業者に伝えて生産させる役割を担っていたようです。

そしてこのような仕組みは、離れた地域や都市との交易の発展にもつながったようです。

伊藤:たしかにそのような分業は効率的ではありますが、手工業者は商人に仕切られていた、すでに上下関係が出来上がっていたのですね。 

奈良:この一連の研究をされた寺西先生はそれをネガティブには捉えていなくて、むしろ職業的求道主義によって、手工業者は専門性と技術の研鑽にこだわり、商人の期待と顧客の要望に応えた。商人は、モノの質を理解できる顧客と手工業者とをつなぎ、顧客の好みや要望といった情報を武器に、顧客の期待に応えたと考えています。それこそがまさに、「一芸に秀でる」「有徳の身」を体現することであり、「いいモノを作れば(商人の手によって)売れる」だったのではないかと思うのです。

そして、現代ほど交通手段が発達していない時代、商人が危険を顧みず、異郷を渡り歩いて離れた地域や都市と交易し、遠方の顧客を手工業者にとって「顔の見える」顧客にしたことが、不特定多数の大衆を相手にモノを供給した、近代資本主義に基づく欧米の経済活動とは大きく異なる点だと考えています。

中世の馬借「石山寺縁起」(「福井県史」ホームページより

(6)効率と生産性にこだわる欧米のものづくりは、キリスト教プロテスタントにルーツが!?

伊藤:欧米のものづくりにも、何か宗教的な影響というか背景があるのでしょうか。

奈良:鋭いご質問ですね。ここでは欧米と言ってもより限定的に、アメリカ、イギリス、スイスなど、キリスト教のプロテスタント圏の国々と言った方がいいかもしれません。

プロテスタント圏の経済活動については、社会学者のマックス・ウェバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本を著しています。これをかなりかいつまんでご紹介します。(以下、特に出所を記載していないものについては、先の寺西重郎先生の著書3冊及びジャパンナレッジ の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の項等を参考としています。)

キリスト教では、仏教のように死後何度も生まれ変わることはありません。肉体の死後、再び肉体を与えられて、最後の審判において、神に救済されなかった人は、永遠の地獄に落ちて、二度と復活することはないという世界観です。人々はそうならないために、生前、神の栄光を高めて御心にかなう禁欲的な生活や行動をする必要がありました。

ところが宗教改革の折、神のためにどのような禁欲的な行動や生活をしようとも、救済される人はあらかじめ決まっているという予定説が唱えられたことで、人々は恐怖の底に突き落とされました。

そこから逃れるために、「神の御心にかなう生活や行動をすれば(因)、救済される(果)」の因果を逆転させて、「救済される人間ならば(果)、神の御心にかなう生活や行動をしているはずだ(因)」と考えるようになり、日常生活において、信仰と神が定めた職業や労働を徹底的に行うようになりました。

そして職業や労働の結果として、利潤を得ることが肯定されました。職業や労働は不特定多数の社会全体に向けて提供されるものであり、その結果としての利潤が多ければ多いほど、神の御心にかなっていると考えられたからです 

神の御心にかなうためには、より広範囲の人に対してより多くのなにがしかを提供し続ける必要があり、無駄を省き寸暇を惜しんで効率的に働く必要がありました。“Time is money”という厳格な時間管理の意識は、近代資本主義の価値観のひとつですが、時間管理の道具である時計は、まさにプロテスタント圏のスイスで産業化されました。

「Watches of Switzerland」ホームページより

利潤を最大化するためには、無駄な支出を抑え合理的な経営を行う必要があり、収支管理には複式簿記が導入されました。また効率と生産性を向上させるために、科学的合理性に基づいた生産方式が必要となりました。おそらく経営学というのは、このあたりから出てきた学問なのではないかと思います。

伊藤:なるほど。プロテスタント圏の国々では、自分の生活や行動が神の御心にかなっていることを体現するために、不特定多数の大衆社会や公共に向けてサービスやモノを提供する職業や労働に励んだ。その結果である利潤の大きさは、自分が救済されることを確信するための根拠であるという点で、重要だったわけですね。 

一方、日本の鎌倉新仏教による職業的求道主義では、利潤そのものよりは、職業的な技術・技能の研鑽と、商人や顧客の期待に応えるといった身近な他者、顔の見える他者への配慮などのプロセスそのものが重要だった。そこに大きな違いがあるということですね。

奈良:おっしゃるとおりです。このような比較で考えてみると、技術革新は、商人や顧客の期待に応える需要主導型の経済活動においては、一品一品の品質向上を実現するものであり、大衆社会への供給主導型の経済活動においては、大きな利潤を得るために生産性、効率性の向上を実現するものであったと言えるのではないでしょうか。

(7)まとめ

伊藤:戦後の日本のものづくりは、トヨタなどに代表されるように、顧客の声に基づく品質向上と、モノの大衆化を推し進める効率・生産性を向上させる技術革新を目指し、実現してきたと言えます。しかし、そのような生産性向上による技術革新のあり方は今や、岐路に立たされているのではないでしょうか。

奈良:もはや技術では引けをとらなくなってきたアジア諸国 、デジタルやAIを武器に破壊的イノベーションをもたらす中国やアメリカのユニコーン企業といった、これまでになかったプレイヤーの存在、大量破壊、大量消費を原因とする地球の環境破壊、想像もしなかった世界的感染症や紛争など、ものづくりを取り巻く環境は、不確実性と複雑性が増していますよね。

伊藤:今回の記事のキーワードである「職業や労働を通じた自己研鑽」と「身近な他者をターゲットとしたものづくり」というお話はもしかすると今の日本の製造業が改めて見直す視点かもしれませんね。

消費者のニーズが多様化する中、もう大量生産だけで市場を拡大することは難しくなりつつあります。かといって多品種少量生産だけでは価格が高くなってしまいます。それぞれの消費者のニーズに合ったものを、輸送コストも含めて最適な価格で提供するといった仕組みへと切り替えていかなければなりません。ものづくりを担う製造業のみなさんの技術をちゃんと評価していただいた上で、価値を認めて買っていただく、そういうものづくりが必要になっているのだと思います。

奈良:また今後はデジタルによって、「マス・カスタマイゼーション」と呼ばれる、生産・販売のボリュームを活かしながら、個々の顧客のニーズに合わせた製品・サービスを提供することが主流になると考えられます。

そのような考え方やテクノロジーのもとでは、顧客の好みや要望に応え、いいモノを届けようとする従来の日本のものづくりの精神は、むしろ生かされていくとも考えられます。

伊藤:今回の対談を通じて、もしかすると、「日本のものづくりの心」に立ち返ることで、そんな私たちが直面する課題への一歩、そして未来につながる一歩になるのではないか、と感じました。

 
過去記事

「日本の歴史から見るものづくりの心」シリーズ主旨

第1回記事「針供養に見るものづくりの神々〜日本人が「もの」に魂が宿ると考えるワケ〜」前編

第1回記事「針供養に見るものづくりの神々〜日本人が「もの」に魂が宿ると考えるワケ〜」後編

第2回記事「鉄づくりは日本の文化 〜たたら製鉄の「たたら」って何?〜」