外に対してオープンになることで道は拓かれた 乗富鉄工所が手掛けるノリノリプロジェクトヒストリー
新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として厚生労働省首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。またコロナワクチンに関する情報は首相官邸のウェブサイトをご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
見出し画像

外に対してオープンになることで道は拓かれた 乗富鉄工所が手掛けるノリノリプロジェクトヒストリー

ものづくり新聞

ノリノリプロジェクトとは、福岡県柳川市の株式会社乗富鉄工所の商品開発プロジェクトです。乗富鉄工所は創業以来、河川の水門をメインに水利施設機械や産業機械を製造している会社です。人々の暮らしを守る仕事をしてきた乗富鉄工所が手掛ける“ノリノリ”な仕事には、一体どんなワクワクが詰まっているのでしょうか?

ノリノリプロジェクトの発起人である、株式会社乗富鉄工所の次期後継者である乘冨賢蔵(のりどみ けんぞう)さんにお話を伺いました。

画像1

引っ込み思案だった少年が大学デビュー“ハチクロ”の影響で青春に憧れ、書道部へ!?

🗞幼少期はどんなお子さんでしたか?

引っ込み思案でみんなの前に立つタイプではなかったです。運動が苦手だったのがコンプレックスでした。笑 その反面、図書館にこもって本を読んだり、祖父の部屋にあった学習漫画を読むことが好きでしたね。」

幼少期(うしろが創業者)

*幼少期の写真 後ろに映るのは創業者である祖父

🗞幼い頃から家業というのは意識されていましたか?

「子供の頃はあまり意識していなかったです。創業者である祖父が仕事を家庭に持ち込まない人だったので、工場は学校の行き帰りに前を通るくらい。引っ込み思案な性格もあって、将来自分が社長になるというイメージは全くできませんでした。」

🗞引っ込み思案なイメージはなかったので意外です。

「その後いわゆる大学デビューを果たし、青春を謳歌していました。笑     大学は九州大学工学部地球環境工学科で、大学2年時以降は船舶海洋システム工学コースに進みました。」

🗞大学時代はどのように過ごされましたか?

「大学3年生の頃に友達から借りた“ハチミツとクローバー”という漫画に影響され、青春をもっと謳歌したいなと思い、大学4年生の頃に書道部に入りました。4年生から部活に入る人ってほとんどいないんですが、入ってみたら結構面白くて奥深い世界でした。」

画像3

🗞確かに、大学4年生から部活を始めるのは珍しいかもしれませんね!

「ほとんどいないと思います。笑 書道にすごく興味があったわけではなかったんですが、やってみると楽しかったです。元々、大学入学したばかりの頃おしゃれに目覚めて、突き詰めた結果布地に興味を持ったこともあったりして。この頃からデザインや芸術の世界に関心を持つようになりました。実はノリノリプロジェクトでサブリーダーを勤めている弊社社員の川久保健太郎は、書道部の後輩でした。将来一緒に仕事をするとは思っていませんでしたが、この時の出会いが今に繋がっています。」

画像4

*右が川久保健太郎さん

50人の現場を束ねる造船所のスタッフは正直辛かった

🗞今に繋がる出会いもあったのですね。大学卒業後はどうでしたか?

「大学院に進学しましたが、大学院1年生の頃にリーマンショックが起きて、一気に就職先の候補がなくなったんです。いざ就職活動となった時もなかなか難しい状況でしたが、神奈川県横須賀市にある造船業の会社に就職しました。元々設計志望で入社しましたが、配属は生産管理部の計画グループという部署でした。」

🗞乘冨さんはその配属先でどんな仕事を担当されたのでしょうか?

現場をまとめるスタッフという役割です。一つの現場には約50人くらいの現場作業担当者がいて、その中に職場長がいます。その人とペアを組み現場の予定表を作成したり、日々起こるトラブルの処理をしていました。加えて、スタッフである私個人にも生産性向上などの課題が与えられていました。」

画像16

🗞どの業務も、色々な方とコミュニケーションを取りながら管理する必要があり、苦労されたのではないかと思います。実際はいかがでしたか?

「現場の人に直接指示するわけではないですが、全体を見て人をどう動かすか考える仕事で、元々人と関わることがそこまで得意ではなかったのですごく苦労しました。求められるレベルも高いですし、単純に仕事量も多くて、朝7時から夜11時まで仕事をしていた時期もありました。仕事できないし、怒られるし、正論言って嫌われるみたいな状況で、最初の3年は本当に辛かったです。笑」

🗞入社してすぐその環境は辛いものがありますが、モチベーションはどう保たれていたのでしょうか?

「いや、もうモチベーションなんてなかったです。これをやらなきゃ俺は死ぬくらいの気持ちでとにかく耐えるしかないと思っていました。笑 現場の方々からすると、私を育てるために厳しくしないとという思いもあったと思います。毎朝、駅から現場にバスが出るんですが、好きな音楽を聴くと嫌いになってしまいそうなので、あまり興味のない音楽を聴きながら心を無にして、“このバスがどこにも着かなきゃいいのに”とか思っていました。笑 」

🗞そんな苦しい時期があったのですね。その後はいかがでしたか?

「続けていればできるようになるもので、ビジネス書を読んだり、スパルタな状況に2.3年耐えているうちに仕事ができるようになってきました。その頃には、現場の方々とも良い関係を築けるようになって、当時は何でもできるぜ!くらいの気持ちでした。笑」

🗞Excelのプログラミング「VBA」を習得されたと別の記事で拝見したのですが、この頃に習得されたのですか?

「そうです。生産計画を立てるという仕事があるのですが、これがめちゃくちゃ大変だったんです。造船のための材料である板が毎月4,000枚以上あるんですが、この材料の処理順やどのラインでどのように加工していくのかを全部決める仕事です。細かく決めていく必要があるので、Excelを駆使して30〜40時間くらいかかります。それを3日間でスピーディーに作らなければいけないので、スタッフの仕事で一番大変でした。何が何でも生産計画を作らないと、現場にいる50人分の仕事が止まってしまうので、会社に寝泊まりすることも日常茶飯事でした。」

🗞大変な仕事だったのですね・・・。

「この仕事が毎月末にあったので、月末は絶対に予定を入れられませんでした。でも私が入社して4年ほど経った頃、あまりにも大変な生産計画を自動化しようというプロジェクトが立ち上がり、そのリーダーになりました。少しずつ仕事が認めてもらえるようになったタイミングでしたね。」

業務改善に目覚めた5年目 

🗞生産計画自動化のプロジェクトはどのような成果がありましたか?

「システム担当者と一緒にプロジェクトを進めていましたが、その方が多忙で、はじめはなかなか進みませんでした。待っていてはダメだと思い、独学でExcelVBAを勉強し、約1年で自動化まで漕ぎ着けました。さすがにデータベースを作ってもらうところは頼んで、それ以外は全部自分で作りました。結果、40時間かかっていた仕事が、作業としては2、3時間で終わるようになり、大幅に負担が軽減されました。」

画像16

🗞かなり大幅な効率化ですが、ExcelVBA自体はどのような方法で独学されたのですか?

「教本を買ってインターネットで調べながら勉強しました。大学時代、船の制御などを勉強していたのでプログラミング自体は全くの初めてではなかったのですが、ほとんど忘れていたのでほぼ1からのスタートでした。今まで40時間かけて地獄のような思いをしながらやってきたことが、流れに沿ってボタンを押していけばできるようになって相当楽になりましたし、ものすごく達成感がありました。楽しいなとも思えて、その後も時間のある時にプログラム化できそうなものをちょこちょこするようになりましたね。」

🗞入社当初の苦しい時期を乗り越えて、楽しいと思える仕事を見つけたのですね。

「業務改善の仕事をしている時が一番楽しかったですね。またやりたいとは思えないですが、あの時の苦労がなければ今もっと大変なことになっとるやろなとは思っています。というのも、アトツギという立場と、造船所のスタッフって結構似ているんですよ。」

🗞アトツギと造船所のスタッフの似ているところはどこでしょうか?

「知識も経験も上の方々に色々言わなきゃいけないこともあるし、先輩方からの厳しい目線の中で采配を振らなきゃいけないところですね。最初は、こいつはそんなに仕事ができる器なのか?と値踏みされながらも、ちょっとずつ信頼を獲得していかなければいけません。造船所のスタッフは結構現場を点々とするので、ある現場で信頼を構築しても次の現場に行けばまたリセットです。新しい現場でも良い関係を作らなければ、何も動きません。その雰囲気も何だか似ていると感じます。」

鉄工所で生産計画表を作りたい

🗞前職をご経験された後、家業に入られたきっかけを教えてください。

「業務改善で仕事が認められるようになってきた入社5年目の時に、親から実家に戻ってきてほしいと言われたことですね。それ以前にも言われてはいたのですが、今後のことを考えると本当に頼むと言う感じで、私もついに決断しました。」

画像7

🗞戻られた時、職人の皆さんはどんな反応でしたか?

「職人さんは皆さん好意的に迎え入れてくれました。でも、中にはこれまで自分たちが時間をかけて築いてきたこの会社で、お前にやれることはあるのか?という厳しい目があったことも確かです。当然リスペクトしつつも、変えなければいけないやり方や考え方もあるなと思っていました。」

🗞アトツギと造船所スタッフの似ている点でおっしゃっていた、厳しい目はやはりあったのですね。

「ありましたね。1年目は現場に入り自社の技術を勉強し、2年目に取締役になり生産管理部長という役職になりました。それで真っ先にやったのが、生産計画を立てるということです。造船所スタッフ時代にあれほどやりたくないと思っていた仕事を、自分で復活させたんです。笑」

🗞家業の生産計画を立ててみて、どうでしたか?

「最初はびっくりしましたね。というのは、乗富鉄工所の主力事業である水門の製造や取り付けって、季節変動がとても大きい上に工事の予定が曖昧になってしまうんです。それは計画のレベルが低いという話ではなく、事業形態として予定が非常に立てにくいということです。」

🗞水門工事の計画が立てにくい要因はどこにあるのでしょうか?

「要因は以下の3つです。

①そもそも水門を設置する目的は大きく分けて、水害を防ぐことと田んぼに水を入れることの2つがあります。水害が多いのも、田んぼに水を入れるのもどちらも5月から9月くらいまでの話になるので、この期間は工事することができません。そうなると、水門の工事はどこも3月から5月納期になります。必然的に秋冬の繁忙期と、夏の閑散期の差が発生してしまいます。
②乗富鉄工所は水門の据付工事もおこなっているのですが、土木屋さんとも絡みながら設置を進めていきます。基本的に土木工事は天気に左右されるものなので、土木工事がいつ終わるかは直前になるまでわからないことも多く、決まっていても雨が降ったらまた一気に予定変更ということもあり得ます。
③乗富鉄工所は、ゴミ処理場やカントリーエレベーターなどのメンテナンス工事も請け負っています。設備が壊れたと連絡があると、すぐに駆けつけなければいけないこともあり、予定を立てていてもその影響を受け、変更になってしまうことがあります。

このような理由から、詳細な予定を立てることを諦めてしまっていました。」

スライド3

*乗富鉄工所が手掛けた水門

🗞実際にはどのように生産計画を立てていたのですか?

現場を知り尽くした職人である工場長が1人で計画を立てていました。要はこの1人に全ての情報を集約させて、決めてもらう形です。ものすごく複雑なパズルを毎日しているようなものです。工場長が体調を崩した時に、一度代わりに私がやったことがあったのですが、結構ぐちゃぐちゃになってしまいました。確かにその方しかできない仕事なんですが、1人で決めるので、どうしてそのような計画になったかとか、いつ頃忙しくなるとかの共有がしにくかったです。」

🗞なるほど。複雑な計画の場合、1人に集約することで計画を立てることができる反面、代わりの人がいないという大きな問題に直面しますよね。

「そうなんです。工場長の年齢も当時60歳間近で、今のうちになんとかしておかなければという思いでした。まずはとにかく計画表という形にすることだと思ったので、“変更しても良いのでどんな仕事が入りそうか教えてください!”と、営業に情報を聞いて回り計画を作りました。最初は本当にアナログに、○月○日までの期間は何人必要という情報をまとめて、例えばこの時期は忙しいから外注に出そうとかそういったことを検討する会議を始めました。」

画像8

🗞変更はあるにせよ、計画を可視化することができたのですね。皆さんの反応はどうでしたか?

「最初は結構反対されました。そんなことやってどうなるの?という声が多かったです。工場長はあまり外注に出したがらないんです。そもそも自分たちの仕事を他所に頼むことに抵抗があり、職人を遊ばせることを最も嫌います。例えば来月の忙しさを見越してはじめから外注を頼もうとすると、その時期になってやっぱり仕事が入らなかったらどうするの?みんな暇になるよ?と言われました。その気持ちもとても分かるんですが、私の考えとしては、もし空いてしまったら仕事のスキルを磨くする時間にすれば良いと思っていたので、半ば強引に計画を作りましたね。これが、家業に入って最初に取り組んだ仕事です。」

「このままだと水門やべーぞ!」からの海苔漁と味噌樽

🗞今現在、ノリノリプロジェクトとして自社製品の開発に積極的な乘冨さんですが、取り組もうと考えたきっかけは何だったのですか?

「私が取締役になったばかりくらいの頃に、社内で、“このままだと水門やべーぞ!”という話が湧いて出たんです。笑 何がやばいのかというと、水門って昔は鉄製だったので15年ほど経過すると錆びてしまい、作り替え工事が発生していました。ですが、現在はステンレス製が主流で、耐久性が向上し作り替え工事が必要なくなってきました。で、役員から、“このままいくと水門だけではやっていけないかもしれないから、何かやれ”って言われたんですよ。笑」

画像9

🗞なるほど。笑 水門以外の新たな事業を始めよということですね。

「何かやれって言われてもなぁ。というのが始まりでした。悩んでいると、“海苔屋さんの海苔をなんとかしたい”と言われました。乗富鉄工所のある福岡県柳川市は海苔が名産なんです。それで知り合いの海苔屋さんを紹介してもらって話を聞くと、確かに海苔を作る過程が結構大変だということがわかりました。じゃあ何か海苔の装置を作ってみようということでやり始めました。」

🗞海苔ですか!新たな事業として、まず海苔の業界を検討したのですね。

「調べてみると、柳川市が海苔の名産地ということもあり、既に海苔の装置を製造している会社がたくさんあることがわかりました。ただ、その装置のほとんどが海苔を収穫した後に使うものでした。でも海苔ってむしろ収穫するまでが大変で、海の中に竿を立ててそこで海苔を育てるんですが、その竿を立てる作業は毎年人の手で行っています。重さ10キロ以上、長さ8〜13メートルくらいあるプラスチックの竿を船の上から海底の泥に立てるので、本当に大変です。」

🗞かなりの重労働ですね。

「実際に私も体験してその様子をビデオ撮影して作業分析を行ったり、過去に様々な会社が取り組んで失敗している資料とかも調べたりして、なんとか乗富鉄工所オリジナルのやり方を考案し開発するところまで行きました。ですが、結論これは商品として物になりませんでした。」

🗞商品としてうまくいかなかった理由は何だったのですか?

「当時私たちが考案した方法を実践するには、かなり高度なメカトロ系の技術が必要ということになり、高専との共同開発なども試みましたが、かけられる予算も時間も少ない中では難しく、実用化までは辿り着けませんでした。

でも、海苔が入ったコンテナを船から陸にあげる際に使う、吊り具のような機械だったらできるのではないかという話になったんです。UFOキャッチャーのようなイメージの機械なのですが、そのような機械は既に世の中にあって、その強化版のような製品を作れないかと。その話を弊社の職人に依頼してみると、なんと3週間くらいで作ってくれたんです。結構画期的な発明ができて、後に特許まで取得することができました。」

まとめてUFO

*コンテナを船から陸にあげる機械

🗞一度挫折した後に、新たな課題を見つけ再チャレンジしたのですね。特許まで取得されたとは驚きです。

「その時に、電気関係が絡むのは難しくても、治具のような工場改善の延長線上にある道具なら作れるかもしれないと思いました。改めてそういう目線で工場内を見ると、職人たちが作った椅子やテーブルが沢山あることに気付きました。

水門は基本オーダーメイドなので、一つずつ設計図が異なります。毎回、何枚もある2次元の図面を読み解いて、頭に立体像を思い浮かべ実際に作るという作業になるんですが、弊社の職人はそれができるんです。椅子やテーブルも同じことなので、時間があるとサクッと作っちゃうんです。時には図面なしで作ってしまうこともあります。これは活かせるのではないかと思いましたね。」

🗞その後はどうされたのですか?

「ちょうどその時期に似た依頼があって、味噌屋さんの樽をひっくり返すマシンを製造しました。先ほどの海苔漁のUFOキャッチャーと、味噌樽の装置、合わせて2つの商品を用意することができました。補助金も獲得して、いよいよ本格的にブランドを作り動き出す決意を固めました。」

ラクルリン

*味噌の入った樽をひっくり返す機械

鉄工所の職人にフォーカスを当てたブランディング

🗞自社ブランドで製品を販売することに関して、苦労はありましたか?

「私自身に営業の経験がなく、最初はイメージが湧きませんでした。営業や販売について勉強している時に、水野学さんの『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』という本に出会いました。その本に書かれていた、売るのではなく、売れるようにするという考えにいたく感動したんです。大学時代ファッションや芸術に興味があった背景もあって、デザインやブランディングって面白い!本気で勉強してガチでやろうと考えました。それに、鉄工所とブランディングって遠いイメージがあるからこそ、やったら面白いと思ったんです。」

🗞自社製品の売り方ということを考えた結果、ブランディングに取り組もうと考えたのですね。

「ストーリーを色々と探っていたら、その時作った海苔漁の治具というものは、IE(インダストエンジニアリング)*の話だと気付きました。要は、内部リソースの話であって、ブランディングとして外に見せる話とは結び付きづらいなと。でも、だからこそのミスマッチ具合が面白いと思ったんです。あえて、職人の見せない技術を他産業に適用してアピールしていくというブランディングが成立するのではないかと思いました。」

作業中

*作業の様子

🗞ブランド作りに乗り出された当初はどのようなことから行ったのでしょうか?

「まずはブランド名を決めようと家でひたすら考えた結果、仕事を楽に楽しくしようというキャッチフレーズと、“ノリノリプロジェクト”というブランドを2019年の1月頃に思い付きました。」

🗞仕事を楽に楽しくというのは、海苔漁も味噌樽もどちらにも共通するポイントですね。その後はどうされたのですか?

「その後、デザイナーさんを探そうという話になり、身近なところで探し始めました。ある時書店で福岡県のデザイン会社を特集している本を見つけ、片っ端からメールを送ると、福岡のとあるデザイン会社さんと繋がることができました。2019年のはじめ頃に、その会社と組んでノリノリプロジェクトの初期のロゴとYouTube、カタログなどを作りました。」

🗞ブランド名、ロゴなどは外部の協力を得て形になったのですね。商品の宣伝やPRはどうされましたか?

「2019年夏に東京ビッグサイトで開催された“ジャパン・インターナショナル・シーフードショー”という日本最大規模の水産加工や技術の見本市で、海苔漁のUFOキャッチャーを展示しました。これがかなりの好評で、手応えもありましたし、いくつか新聞の取材もあり、絶対に成功すると確信していました。」

海苔漁用装置で二度目の挫折 そしてキャンプへ

🗞手応えのあった装置の売れ行きはどうでしたか?

実際はほとんど売れませんでした。理由はいくつかあるんですが、海苔漁で使っているカゴに合わせて毎回新しく装置を設計する必要があったり、そもそもクレーンがないと使えないという課題があり、どこでも誰でも設置すれば使えるという装置ではなかったことが一番の理由です。面白いという反応はあっても条件が合わずに断念したこともありました。それに加えて、新型コロナウイルスの感染も徐々に広まってきている頃だったので、現場に伺うことができず、オンラインで画面越しに打ち合わせするのはかなり厳しいものがありました。」

スクリーンショット 2021-12-09 12.32.14

*海苔漁の現場に機械を導入した際の様子

🗞手応えはあったものの、実際に使ってもらうまでには至らなかったのですね。

「設計と製造に時間がかかってしまうため、価格が高くなってしまったことも理由ですね。結果的に販売できたのは1台だけです。本社のある柳川市近くの漁師さんで、何度も打ち合わせを重ねていわゆるオーダーメイドで作りました。なんとか設置できて良かったですが、これはビジネスとして成立しないことを痛感しました。成立しないことにはPRやブランディングもできず、一度リセットされたような状態になり、迷っていた時期でした。」

🗞海苔漁に関しては2度の壁にぶつかり、うまくいかなかったという経験をされたのですね。その後どう気持ちを切り替えたのかが気になります。

「一旦、海苔漁のUFOキャッチャーのことは置いておき、新しいことを考えようと切り替えました。自分でも勉強しようとデザイン開発のワークショップに参加したり、情報収集したりと次に向けて行動しました。すると、役員から“ピザ窯やろう”と新たな提案がありました。話を聞くと、柳川市のイベントでピザ窯があったらしく、鉄工所だからうちでも作れるでしょというノリです。笑 ピザ窯って石製じゃないか?と思いましたが、当時ノリノリプロジェクトとしては立ち止まっている状態だったので、まずは行動しようとピザ職人に話を聞きに行ったり、ピザ屋さんで色々と教えてもらったりと調査を始めました。ですが、やはり話を聞けば聞くほど我々がやることじゃないなと。

でも、鉄工所の強みであるタフさはもしかしたらどこかで活かせるのではないかと考え、調査は継続して行っていました。すると、キャンプが流行っていることを知ったんです。」

🗞ついに、ノリノリプロジェクトとキャンプが出会うのですね・・・!

「インターネット上で市場調査のようなリサーチを経て、キャンプ用のピザ窯はいいかもしれないと思い付きました。福岡県に有名なキャンプのセレクトショップがあったので、ピザ窯のこと教えて欲しいと問い合わせたら快諾していただき、さっそく弊社の職人と訪問しました。実際に訪問して話を聞いてみると、キャンプ用のピザ窯は、既に立派な商品が世に出ていて、ジャンルとしては割と成熟していると教わりました。今から参入しても難しいというアドバイスと同時に、ストーブガード(ストーブやヒーターの周りに設置する安全柵)なら出来るのでは?という課題を貰ったんです。」

🗞キャンプの専門家と会話することで新たな課題を発見したのですね。そのストーブガードも職人さんが試行錯誤を経て作られたのですか?

「そうです。1年ほどかけて作ってくれました。焚き火を囲む本来の役割に加え、テーブルにもなるという面白い構造の商品ができ、キャンプ店の方々も交えて楽しんでやっていたんですが・・・いざ買ってくださいよという話になると、スーッと引いていく感触があって。笑 あれ、さっきまで楽しそうだったのに、と思ったんですが、そこではじめてコスト感が全くわかっていなかったということに気付いたんですよね。」

🗞面白いものを追求した結果、コストが合わないという事態を招いてしまったと。そこから、どうやって現在販売されているスライドゴトクヨコナガメッシュタキビダイに辿り着いたのですか?

「また駄目かと思っていたら、別な課題を振っていただいたのです。それがキャンプ用の五徳(焚き火や火鉢の炎の上に鍋などを掛けるのに使う道具)でした。社内に持ち帰り、再び職人が作ってくれたのが、現在も販売しているスライドゴトクです。ようやく初めて売れそうなものができたという感覚でした。」

スクリーンショット 2021-12-09 12.30.42

悩んだ営業 

🗞紆余曲折を経てようやく辿り着いたスライドゴトクですが、開発に際して気を付けたことはありますか?

コストが大事ということは痛いほどわかっていたので、最初からトータルコストを考えながらの開発でした。職人にもとにかく手数を増やさないで、できるだけシンプルに作れるものを作って欲しいと伝えていて、職人自身もストーブガードの件でその点は痛感していたので、問題はありませんでした。」

🗞新たな商品ができ、改めてどのようなブランディングやPRを行いましたか?

「先ほどお話ししたデザイン開発ワークショップへ参加した際、講師である関光卓さんから、プロダクトやデザイン、売れるものを作るには、ということを色々と教わりました。そのアドバイスを取り入れて、2020年春頃にスライドゴトクの原型になるものができ、販売価格を決め、ホームページをオープンさせました。2ヶ月くらいで準備したのでかなり忙しかったですが、2020年11月11日(ノリノリの日)に販売開始することができました。ちなみに、関光さんにはワークショップで出会った後も様々な部分で助けていただき、現在ではノリノリプロジェクトのデザイナーとして一緒に仕事をする関係になりました。」

🗞販売開始当初の売れ行きはいかがでしたか?

「最初は全く売れませんでした。そこから地道な営業をすることになるんですが・・・

実は販売価格を決める際に、小売店で扱ってもらうことを想定した価格に設定したんです。最初にそのケースを見越して、販売価格設定をしなければ、自分たちで売るしか方法がなくなり、卸すことができなくなります。自分たちの過去の失敗もありましたし、デザイナーさんからのアドバイスもあり、最初にその選択ができました。」

画像17

「それでもなかなか売れず、全国のキャンプ用品店をリストアップして、営業を地道にしました。リストアップは手伝ってもらいましたが、営業そのものは全部1人でやりました。反応がなかなか得られず愚痴をこぼしながら、現場からは“なんで売らんのじゃい”と言われながら・・・。笑

でも、2021年に入ってからテレビ番組や新聞、雑誌などで取り上げていただける機会が増え、少しずつ売れるようになったんです。空気がちょっとずつ変わっていくのを実感しました。そのタイミングで、2021年2月の東京インターナショナルギフト・ショーがあり、その中の町工場NOW!に、町工場プロダクツの一員として出展させていただきました。その時期はちょうど水門事業の繁忙期で私は出られなかったのですが、主催者である栗原精機の栗原さんに品物を送り、有限会社小沢製作所の小沢さんにブースに立っていただき展示してもらいました。その展示がきっかけとなり、ヨドバシカメラさんや石井スポーツさんとの契約が決まったんです。そこからまた更に広がり、スライドゴトクが売れるようになったのは2021年春頃でした。やっとでしたね。」

出会いと繋がりで成り立っている

🗞ヨコナガメッシュタキビダイはどのような経緯で開発されたのですか?

「スライドゴトクを開発してくれた職人に“スライドゴトクと似た材料・機構を使ったキャンプ関連の商品を考えてほしい”とお願いしたらプロトタイプを作ってきてくれました。ただ、メッシュ部分は自社では作れないので、はじめは中国から輸入しようと考えていました。試しに製品を取り寄せて焚き火をしてみると、3回くらいでメッシュ部分が破れてしまったんです。これでは売り物にならないのでどうしようか悩んでいたところ、偶然ある商社の方が弊社を訪ねてこられました。聞くと弊社を取材していただいた新聞記事を読んで“一緒に何か仕事をさせて欲しい!”ということだったので、メッシュの件を相談をしました。すると、日本で3社しかないメッシュを製造している会社と交渉して、更に別な鉄工所でメッシュの加工もしていただけることになりました。」

商品写真

🗞新聞記事がきっかけに!海苔漁の装置から始まり、様々な道を開拓しながら現在に至る中で、特に印象的なことはありましたか?

「スライドゴトクを世に出して注目してもらえるようになったあたりから、特にTwitterを介して様々なことが起こりました

まず、福岡大学商学部の飛田先生という方が興味を持って下さり、それがきっかけで大学生のインターンを受け入れるようになり、更に飛田ゼミと乗富鉄工所で共同研究しましょうという話になりました。2020年夏からマーケティングプロジェクトというものがスタートし、顧客アンケート調査やECサイトの作り方などをアドバイスいただきながら、一緒にやってきました。Instagramの運営も手伝ってくださっていて、現在のフォロワー数は約5000人です。商品や取り組みを通して仲間ができました

更に、私の右腕募集と銘打って、一緒に動いてくれる人を募集したら、某有名ECサイトの方からの応募が来るという出来事もありました。最初は騙されているのかなと思いましたね。笑 そこから一緒にノリノリプロジェクトに携わってくれるようになり、その方のアドバイスもあり、先日台湾のクラウドファンディングに挑戦するという新たな一歩もありました。」

🗞台湾でのクラウドファンディングはどういった目的で行われましたか?

クラウドファンディングだけで終わらせず、将来本格的に海外展開をしようと考えているので、今回の挑戦は海外の地場で足場を築くためのテストのような位置付けです。Twitterを介した出会いがなければ、正直海外展開なんて思いもしなかったですね。」

画像15

🗞全体を通して、新たな繋がりがきっかけとなり道が拓けていったようなイメージですね。

「そうですね。デザイナーさんをはじめとする、それぞれの専門家から色々なことを教えてもらいながらやっているのがノリノリプロジェクトです。」

🗞様々な人を巻き込んで一緒に取り組んでおられますが、その辺りは迷いなく声を掛けることを心がけておられますか?

「いや、そこなんですよ。笑 結局、この踏み込みができるかできないかということが全てだと思っているんです。例えば勉強会で積極的にプレゼンして、専門家の方からアドバイスをもらい一緒に仕事しませんかとお願いしてみたり、Twitterでみつけた面白そうな事業をやってる同業者には、ZOOMでお話ししませんかと声をかけてみたり・・・。これができる人ってそう多くはないと思っています。ここが一応、今のところ成功要因だと思っています。」

🗞子供の頃は引っ込み思案だったとおっしゃっていましたが、どこかで踏み出せるようになったきっかけはあるのですか?

町工場界隈の仲間の影響は大きいですね。Twitterを見ていると、色々な人と繋がろうとしている様子や、新しいことに挑戦している姿を見ると、やらなきゃなと思います。」

画像16

🗞今後の展望や、叶えたい夢はありますか?

乗富鉄工所を、暮らしを守り楽しくする会社にしたいと思っています。既存の水門の製造や設備のメンテナンスなど、暮らしを守る仕事はもちろん、ノリノリプロジェクトではキャンプやレジャーなどの分野でもっと活躍していきたいです。社内外問わず、ノリノリという言葉がふさわしいような会社を目指しています。

あと、町工場にクリエイティビティを取り戻すということも意識しています。ノリノリプロジェクトは何とかここまで辿り着いていますが、自社プロダクトを作るのって本当に難しいんです。運もありますし、これまで相当なリソースを割いてきました。でも、自社プロダクトに取り組みたいけど、なかなか余裕も機会もないという町工場もきっと多いんじゃないかと思うんです。今後はそういった町工場とコラボして商品を作るということもやっていきたいです。もっと町工場やものづくりを面白く楽しくしたいですね。」

🗞最後に読者の方々へメッセージをお願いします。

オープンになるということが重要だと考えています。町工場ってどこか閉鎖的で、自分たちの常識が世間の常識だと思っているところがあるんですが、実際外に出てみると、全くもってその逆だったということも結構ある話です。私自身、Twitterで外への発信を続けていった結果、キーとなる人やアイデアと出会いその先の活路が見えてくるという経験をしました。

内に篭っていてはうまくいくものもうまくいきません。経験上、まずはどんどん外に向けてオープンになっていくことをおすすめします。」

何かご興味があればこちらから。掲載企業へのお問い合わせや取材のご相談など、ものづくり新聞編集部が窓口となりサポートします!まずはご相談からお気軽にどうぞ(無料)

ありがとうございます!嬉しいです!!
ものづくり新聞
あらゆる人がものづくりを通して好奇心と喜びでワクワクし続ける社会の実現をビジョンに、ものづくりの現場とつながり、それぞれの人の想いを世界に発信することで共感し新たな価値を生み出すきっかけをつくりだすメデイア。運営:株式会社パブリカ:https://publica-inc.com/