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勇気を出してありのままの「木地」を見せたことで、自社製品開発が始まった 井上徳木工 井上孝之さん

漆器製造の世界は、「木地」「下塗り」「上塗り」など複数の工程が必要です。「越前漆器」の産地である福井県鯖江市は、昔から工程ごと別の職人や会社が担当する“分業制”で漆器を製造してきました。その中のひとつに「木地(きじ)」を作る工程があります。木地とは、漆を塗る前の白木のままの木材や器のことを指します。

今回は木地のなかでも、「角物(かくもの)」と呼ばれる重箱や小箱などの四角い木地を製造している有限会社井上徳木工の代表、井上 孝之(いのうえ たかゆき)さんにお話を伺いました。井上徳木工は、昔から主体としている木地製造だけではなく、木地の“ありのままの質感”を活かした自社製品を開発・販売しています。

木の質感が見てとれる井上徳木工の自社製品『丸が際立つ重箱シリーズ』 井上徳木工提供

井上 孝之
福井県越前市生まれ。塗師(漆を塗る職人)の祖父、木地職人の父を持ち、自身も高校卒業後、家業に入り木地製造に携わる。角物やお盆の木地製造を中心としながら、自社製品の開発にも取り組んでいる。

美しい漆の下はどんな風になっているのでしょうか?

これは漆塗りのお盆です。漆塗りと聞くとこのようなツヤのある質感をイメージする人が多いのではないでしょうか。

その漆が塗られている木地がこちらです。いくつかのパーツを組み合わせてお盆の形を作っています。

角の部分はこのようになっています。隙間の三角形の部分には、そのサイズにカットした小さなパーツがはめ込まれています。木地の製造は繊細で緻密な作業です。

こちらは漆を塗る前の角物の木地です。面ごとに作った板を組み合わせて作られています。

継ぎ目が気持ち良いくらいにぴったりと合っています。これが木地としての完成形です。

木地製造の現場を覗いて見ましょう

木地製造の様子を最初から見ていきましょう。木材は工房の奥にある倉庫で管理されており、よく使われる木材は常に在庫として保管されているそうです。

木材を使いたい大きさにカットします。

カットしたままの状態では、このようにガサガサとしていて、ささくれが目立ちます。

鉋(かんな)スライスなどの機械を使い、表面のささくれを削っていきます。一見簡単そうに見える作業ですが、木目を見て判断して削る向きを考える必要があります。最終的にどの面が表にくるかを、この段階で考えなければなりません。井上さんにこの向きだよと教えてもらうまで、私たちはわかりませんでした。

ささくれがなくなり、表面が綺麗になりました。サラサラして気持ちの良い触り心地でした。

この木材は薄い板状にするため、最後にスライスしていきます。

これが完成形です。厚みや幅の大きさが均一な4枚の板が出来上がりました。

組み立て作業中の様子も見せていただきました。接着剤を薄く塗り、貼り合わせるように組み立てていきます。組み立てたら、バンドで固定して乾燥させます。

@monoshin_publica1

井上徳木工さん 木地(きじ)製造の様子です。木地とは、漆を塗る前の素材のことを指します。

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2階にあがると、目に飛び込んできたのは大量の木地!

かつてはこのような鰻重の重箱も手掛けていたといいます

これまで井上徳木工が手掛けてきた木地の現物です。設計図はもちろんありますが、次にもう一度同じ製品を作るとなった時に、現物が最も役立ちます。数値や言葉として記録できない細かなテクニックを確認できるためです。そのために、過去に手掛けた木地の現物を倉庫に保管しているのだそうです。

機械化が進んでも、最終的な判断は人の目と手で行う世界

ーー井上さんのお父様の代から、木地製造を始めたとのことですが、当時はどのような木地を作っていたのでしょうか?

作っているものは、今も昔も「角物」という重箱や小箱や、お盆です。昔は作っている種類は今よりずっと少なく、10~20種類のものを繰り返し製造していました。

ーー製造に関して、今と異なる点などはありますか?

今はほとんどの工程で機械を使って加工していますが、当時は機械が少なく手作業が多かったです。鉋(かんな)や、鑿(のみ)を使って木の表面を削ったり、角を丸めたりしていました。徐々に売上も生産量も上がり、1980年代から量産に対応できるように機械を導入し始めました。今使っている機械はその頃から使っているものが多いです。

ーー木材はひとつひとつ微妙に木目などが違っているのではないかと思うのですが、その見極めはやはり難しいですか?

そうですね。機械化は進みましたが、人の感覚というのがすごく大事な世界だと思っています。角度や厚みを機械で設定して加工しますが、本当にその通り加工されているかどうかの最終的な確認は人の手や目で行います。その感覚がとても難しく、言葉や数値では表せないものなんですよね。

ーー技術を身に付けるには、やはり実際にやってみるのが一番でしょうか。

やってみるしかないと思います。例えば『角度が45°になるように機械をセッティングして、ゆっくり削る』という文章だけでは、手の動かし方やどのくらいゆっくりなのかはわかりません。確かに文章にするときはそう書くしかないですが、実際は刃物の回転や切削の量、抵抗の具合などを肌で感じながら加工していきます。その時の“しっくりくる感覚”はなかなか言葉にできないので、やはりやってみるしかないのだと思います。

ーー繊細な仕事ですが、向き不向きがある世界なのでしょうか。

恐らくあると思います。その点、私はこの仕事が向いていたのだと思います。時には「他の仕事をしてみたいな」と思うこともありましたし、家業だからやっていると思うことも最初はありました。でも、向いていなかったら、ここまで綺麗に作りたいとは思わなかったんじゃないかと。好き嫌いとはまた違いますね。

ーー手先が器用な人や、品質を追求したいという考えの人は向いていますか?

そういうわけでもないんですよね。作家さんは、自分の作品にこだわって追求して作っていくというスタイルで良いと思うんです。それが私にとってはある意味羨ましいと思うこともあります。でも、私がものづくりしている世界は、“クオリティーを保ったまま量産する”必要があります。手先が器用なことは充分に役立ちますが、同じ品質のものを作り続けるというスキルもとても大事です。仮に「良いもんが出来なかったから、今日は納品できない!」という職人がいたとしたら、それは理想とは言えないと思います。

ーーなるほど。そう考えるようになったのはいつ頃からですか?

この仕事を始める時に教わりました。鯖江の漆器産業は分業制で成り立っており、自分のところだけでは仕事が完結しません。私たちが作った木地に漆を塗ったり、蒔絵を施したりする人がいます。その時に「ここで作って納めた木地に漆を塗ったら、木の木目が出てきてしまった」と言われてはいけないんです。一定の品質を保つべきという考えの背景には、そういう環境でものづくりをしてきたという歴史もあると思います。

子供の頃は、クラスの半数がものづくり系の家業を持っていた

ーー井上さんはどんなお子さんでしたか?

鯖江市越前地区周辺は今も自然豊かですが、昔はもっと畑や田んぼが多かったので、ザリガニを捕ったり、トンボを捕まえたりして遊んでいました。

ーー子供の頃、家業はどんな存在でしたか?

土地柄、眼鏡や漆器などの家業を持つ家が多くて、クラスに30人いたら半数は何かしらの家業があるような環境でした。ですので、ごくごく当たり前という感じですね。

ーー将来、家業で働くことも、当たり前という感覚でしたか?

そうですね。小学1年生の時の文集に『将来は家業を継ぐ』と書いてあったし、高校を卒業したら家業に入るのが当たり前でした。当時この辺りの家業を持つ子供たちは、そんな感覚だったと思います。

ーー今の子供たち世代と比べると、やはり環境は変わってきていますか?

全く違いますね。経営的な厳しさが増して、今は「自分の代で家業を閉じる」という人もかなり多いです。儲かっていればやりたいという子供もいるだろうし、親世代も継がせたいと思えるんでしょうけど、なかなか難しいですね。

ーーそんな中、今年、息子の裕太さんが家業に入られたと伺いました。どのような心境でしょうか?

厳しい状況なのは確かですが、それでも「絶対継がんほうがいい」と私から言いたくはなかったんです。「やるやらないは自由だけど、もしやりたかったらいつでもやっていいよ」と言える環境にしておきたいと考えていました。それは心構えとしてでもそうで、「来ない方がいい」と自分を卑下するような感じにはなりたくなかったんですよね。

ーーそういった環境を作るために取り組んだことなどはありますか?

昔からやり続けてきたような木材の加工だけでは、近い将来やっていけなくなるのは明らかでした。そこで、自社製品を作って販売したり、県外からも注文がいただけるようにアピールしたり、新たな取り組みを始めています。

井上徳木工の自社製品

手許箱 井上徳木工提供

■手許箱(てもとばこ)
古くから定番として作られてきた越前漆器の手許箱を、使いやすい大きさにリサイズしたもの。いくつかの手許箱をスタッキングできる溝も備えてあります。

重箱 井上徳木工提供

■重箱 丸
丸型の重箱。一般的な重箱と同様、重ねて使うこともできます。お弁当にぴったりのサイズ感です。

トレー 井上徳木工提供

■トレー
細かいパーツを組み合わせて作ったトレー。このパーツを組み合わせる技術こそ、長年井上徳木工が手掛けてきた木地製造によって培われたものです。

詳しくは井上徳木工オンラインショップをご覧ください。

RENEWにお客さんとして参加したことで
「無理して背伸びせんでもいいか」と思えた

ーー県外へのアピールや自社製品開発は、どのくらい前から取り組んでいるのですか?

5年ほど前から取り組んでいます。そのきっかけはやはり越前鯖江エリアで開催している『RENEW』ですね。

RENEW(リニュー)」は、福井県鯖江市・越前市・越前町で開催される、持続可能な地域づくりを目指した産業観光イベントです。“見て・知って・体験する” を合言葉に、普段立ち入ることのできない工房を見学したり、ものづくりにトライしてみたりと作り手とつながることを目的としています。RENEWのレポート記事はこちらから。

ーーRENEWが開催されると聞いた時、いかがでしたか?

主宰者の新山直広くんのことは、彼が鯖江に来た頃から知っていますが、正直に言うと「(作り手じゃない人間に)何がわかるんだ」と思っていました。良いものかもしれないけど・・・面白くなかったんだと思います。

でも、いざRENEWを始めるという時に、「井上さんにもRENEWに出てほしいです」と声をかけていただきました。せっかく声をかけてもらったんだし、じゃあやってみるかということで参加することにしました。

ーー参加してみて、手応えはどうでしたか?

本当に興味のあるお客様が、ぽつぽつといらっしゃる感じでした。総合案内所のあるうるしの里会館(福井県鯖江市河和田)周辺はすごい盛り上がりだという話は聞いていましたが、うちはうるしの里会館から距離が離れていることもあり、最初の方は盛り上がりがあまり感じられなかったのが正直なところですね。従業員が多い会社は盛大にやっているけど、ちょっと温度差を感じていました。

ーーそれでも継続してRENEWに出られたのには、何か理由はありますか?

元々、やるなら最低3回は出ようと思って出展しましたが、4回目は都合が付かず、井上徳木工として参加することができませんでした。じゃあせっかくだし、参加者として色々見て回るかと思い、規模の小さな工房を中心に見学しました。はじめて自社以外の様子を見てみると、規模の大小は関係なく、ありのままを見せている工房が多かったんです。それを見て「無理して背伸びせんでもいいか」と思えました。それまでは凝ったことをしなきゃいけないんじゃないかと思っていましたが、ありのままでもいいと思えたので、その次から木地のサンプル場を開放し、見学していただけるようにしました。

ーー木地のサンプル場を開放し、お客様に見ていただくのは初めての試みでしたか?

初めてでした。人前で自分たちの仕事を説明すること自体が初めてだったので、説明だけで精一杯でした。でも、少し余裕が出てくると、私の説明を熱心に聞いてくださり、感心してくれる人がいるなら、その人たちに何か自分が作ったものを手に取ってもらいたいと思うようになりました。そこで、RENEWの企画の一環で、デザイナーと職人が組んでものづくりするという取り組みに参加して、自社製品を作りました。

ーーそれまで、自社製品開発の取り組みはなかったのでしょうか?

ものづくりをしている会社ではあるのですが、私たちはメーカーじゃないというのが正直な気持ちでした。私たちが作っているのはあくまでも、木地です。最終的に漆を塗った製品がお客様の手元に届くので、最初は自社製品どころか、木地を見せるのも抵抗がありました。でも、RENEWのお客様やデザイナーの方が、木地を見て、木目や継ぎ目に感動してくれたので、じゃあやってみようかと一歩踏み出すことができました。

ーー自社製品にはどんな思いを込めていますか?

漆を塗る前の木地はこういうもので、小さな継ぎ目に神経を使って作っているということを知ってほしいという思いがあります。ですので、木材は特別なものではなく、業務用木地と同じシナのベニヤ板を使っています。木目も木の色もあまり特徴のない材料ですが、私たちの仕事を見てもらうにはこれが一番なんです。

ーー継ぎ目は漆を塗ると、隠れてしまう部分ですよね。それを見せるために、作り方や素材はあえて変えていないのですね。

最初はそれを見せるのにすごく抵抗がありました。でも、紹介でいらしたあるデザイナーさんに勇気を出して見せると、お盆の側面の積層や継ぎ目がすごく面白い!という感想をいただきました。「え、そんな面白いんや」というのが私の正直な気持ちでしたが、それがきっかけでありのままの木地を活かした製品を作ろうとプロジェクトが進んでいきました。

ーーそれ以前に井上さんの中で、いつか自社製品を作るとしたらこんなものがいいというイメージはありましたか?

木地製造の会社なので、木地を活かした製品を作りたいという思いはありました。そうなるとお盆や箱ではなく、もっと雑貨寄りになるのかなぁと思っていましたし、漆を塗ることも考えていました。あの時に「木地のまま、そのままが面白い!」と言ってもらえていなければ、今のような形にはなっていなかったと思います。

言葉にできないからこそ難しい技術の伝承と教育

ーー井上さんが現在課題に感じておられることはありますか?

これまでやってきた地元のお客様の仕事も続けたいし、自社製品にも力を入れたい、両方の思いがありますが、今の弊社の規模を考えると、どっち付かずなところがあります。人が足りないということもありますが、人が増えたとしても製造能力や販売能力が伴わなければ上手くいかないですし、どう舵を取るか悩ましいところです。

ーー採用や教育についての課題でもありますね。

私が30年くらいかけて、やっと精度が良いものを作ることができると言える段階まで来ました。今、息子が木地製造の勉強をしていますが、最初に話したように言葉にできない部分が多い仕事なので、教育が本当に難しいんです。

ーー裕太さんの前職は家具製造メーカーだったと伺いました。木の取り扱いには慣れているように思いますが、それでもやはり難しい世界なのですね。

息子が他の会社で学んできた家具作りは、これまで井上徳木工にはなかったことです。木地製造とは違いますが、新たな視点を持ってきてくれたと思っています。よその釜の飯を食うということは、今後家業でやっていく上でも良い経験だったと思います。

ーー井上さんの今後の目標を教えてください。

ずっと前から、自分のペースで仕事がしたいという思いがあります。仕事をいただいた時に、「今ちょっと混んでいるので、納品は1ヶ月後です」というと、「えーそんなにかかるんや!」と言われるのがほとんどです。日々、いただく仕事は納期との戦いで、分業制なので次があるのは当然なのですが・・・。でも、弊社を信じて「井上さんにやってもらいたいので、1ヶ月待ちます」と言っていただけるような会社にしたいです。

ーー井上さんじゃないとできない仕事をしたいということでしょうか?

それとも少し違っていて、自分たちを含めて、同業者でできない仕事って多分ないんです。技術的にも品質も、各社そこまで大きな差はありません。上手く言えないのですが、あの人に仕事をしてもらいたいと思わせたい、みたいな感じです。

ーーなるほど。沢山の木地製造職人がいる中で、選ばれる存在になりたい。選ばれるための何かを見つけたいという感じでしょうか。

最初に戻りますが、根本に「唯一無二の技術があるわけではないし、こんなのみんなできるけど」という思いがあるんです。その中で選ばれる存在になるには、どうすればいいのかなと今探求しているところです。

有限会社井上徳木工
会社HP  井上徳木工 オンラインショップ ブランドサイト
所在地 福井県鯖江市河和田町26-19
代表 井上孝之

あとがき

工場2階の木地保管スペースは、井上徳木工の歴史が濃縮されたかのような空間でした。お父様の代に作っていたという製品は、形こそ今ではあまり見ないようなものでしたが、どこにも隙間がなく、熟練の職人にしかできない技が光る製品ばかりでした。

井上さんの「漆を塗る前の木地を見せるのは恥ずかしかった」という言葉に対して、最初は「そんなことないのに!と思いましたが、金型製造に携わっていた頃に同じような出来事があったことを後から思い出しました。私が、“磨き”という切削加工などによって粗くなった面を磨いて綺麗にする作業を担当していた時のことです。入社仕立ての後輩に「磨く前のザラザラしているのも綺麗です」と言われましたが、私の仕事は綺麗にすることで完了するという思いがあったため、ザラザラしている状態で誰かに見られるのはどこか恥ずかしいような気持ちになりました。

“最後に漆を塗って完成させる”というスタンダードをひっくり返すような製品を世に出すのは勇気が要ることだと感じます。「それこそが美しい」という声を素直に受け入れ、一歩を踏み出したことで井上徳木工の製品は生まれました。B2Bを中心としてきたものづくり企業が、B2Cに挑戦するということは様々な面で勇気が要ることだと感じる取材でした。