グローブ職人育成学校を作りたい!100周年を迎える奈良県三宅町のグローブ製造
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グローブ職人育成学校を作りたい!100周年を迎える奈良県三宅町のグローブ製造

「ものづくり企業ではたらく人たち〜ものひと〜」
シリーズ第3弾🌟

ものづくりの現場により近い方にお話を聞くこのシリーズ。どんな思いでものづくりに携わっているのか、どんな未来を思い描いているのか、記者の中野が元製造業従事者としてより近い目線でインタビューします!

今回インタビューするのは、奈良県三宅町で野球用のグローブを製造されている合同会社Craftermindの酒井真矢さん(右)、アサダスポーツの浅田恒夫さん(左)です。

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奈良県三宅町は大正10年頃からグローブ製造が行われるようになり、野球の発展と共に産業として成長していきました。昭和45年頃には最盛期を迎え、三宅町を中心として周辺地域が全国グローブ生産量の90%を占めるようになります。当時は海外への輸出も盛んでした。しかし、その後安価な海外製に押され、生産量は激減。グローブ職人の数も減っていきました。

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そんな中迎えた今年2021年は、なんと三宅町でグローブ製造が始まって100周年というメモリアルイヤー!

100周年を盛り上げるべく立ち上がったお二人が取り組んできたことや、重くのしかかる課題などを伺いました。

先にグローブ製造のおおまかな流れをご紹介します。(100周年事業実行委員会ホームページより引用

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製造が盛んだった頃は、紐通しや手の中のパーツの縫製、親指と小指部分に入っている芯の縫製など、専門の職人が三宅町内におり、町内で分業していました。その多くは家の隣にある作業場で、家族で製造していたそうです。

25年歩んできたグローブ職人の道 

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🗞酒井さんはグローブ職人の親方に弟子入りされて業界に入ったのですよね?

酒井さん🔹「18歳でグローブ職人の親方のところへ弟子入りしました。今年で25年になります。2年前に独立してCraftermindを立ち上げました。」

🗞酒井さんがグローブ職人になろうとしたきっかけを教えてください。

酒井さん🔹「高校時代、グローブ職人か料理人になりたいと思っていたんです。卒業間近まで料理人かグローブ職人かで迷った末、グローブ職人になる道に進むことを決めました。」

🗞料理もお好きなんですね。グローブ職人という仕事は馴染みのある職業だったのですか?

酒井さん🔹「部活を引退してから本格的な中華料理店でバイトをしていたこともあり、料理は今でも好きですね。グローブ職人を知ったのは、高校野球をしていた時です。グローブや靴の職人が所属するとあるスポーツ組合があり、その理事長がたまに学校に来ていたんです。その方がグローブ職人だったんですね。色々とお話を聞くうちにグローブ職人に興味を持つようになりました。甲子園へ行く夢は叶わなかったけど、自分が作ったグローブを使った子が甲子園に行ってくれるといいなと思いました。」

🗞なるほど。その方との出会いがきっかけなのですね。

酒井さん🔹「グローブ職人になると決め、その方に相談しましたが、“多分どこも雇ってくれないよ”と言われましたね。笑 いくつか紹介してもらったんですが確かにほとんど空振りで、唯一話を聞いてくれたのが弟子入りした親方でした。」

🗞酒井さんが弟子入りされた頃は、職人さんも多く賑やかな工場だったのですか?

酒井さん🔹「そうですね。職人は8人ほどで、月産2000個以上のグローブを作っていました。当時は、出来上がったグローブに手が入るように専用のアイロンを使って最後の仕上げをするのが私の仕事でした。朝から晩まで作業しても終わらないくらいでしたね。たまに手が空いたら、2階でオーダーメイドのグローブを作っていた親方の手伝いをしたり、縫製の練習をしたりしていました。」

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🗞かつては分業が主流だったとのことですが、現在はお一人で製造されているのですか?

酒井さん🔹「はい。三宅町内にあった縫製や紐通しの専門工場は廃業し、仕事を振ってきたような大元の職人だけが残っているような状態です。いつかは全部自分で作れるようにならなければやっていけないと感じていたので、それぞれの作業をコツコツ習得してきました。」

🗞Craftermindではどういった方々向けの製品を作られていますか?

酒井さん🔹「数年前までは大手メーカーの下請けが中心で、自社ブランドを立ち上げてからは個人のお客様にオーダーメイド品も作っています。少し前までは海外のOEM製品が多かったですね。今は国内のOEMも多くの受注をいただくようになりました。」

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🗞海外からの受注もあるのですね。主に個人でオーダーメイドされる方はどんな方なのでしょうか?

酒井さん🔹「市販されているグローブだと手に合わないという方です。女子野球選手など手の小さい方が多いですね。手にフィットするように作るのでリピーターになってくださる方も増えています。」

🗞一度オーダーメイドの良さを知ると、次も作りたくなるのですね。

酒井さん🔹「皆さん完成品を手にはめると、軽いとおっしゃるんですが、実は市販品との重量差は10g程度で、ほとんど差はないんです。フィットする分、軽く感じるのかもしれません。」

外の世界を経験し、家業を継いだ

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🗞浅田さんはご両親がグローブ製造をされていたのですよね?

浅田さん🔸「幼少期から両親がグローブを作っているところを見てきましたし、私自身も野球をしていました。中学生頃からは家業を手伝うようになりましたが、正直この仕事を継ぐことは無いな・・・と思っていました。」

🗞それは何故ですか?

浅田さん🔸「両親が苦労しているのを間近で見ていたからです。グローブが完成すると、当時お客さんだった国内の大手メーカーの方が見に来るんです。傷の有無、刻印や縫製が綺麗かどうか等細かく見て検品をしていくのですが、それがかなり厳しくて。それが仕事なので仕方ないですが、NG製品には直接マジックで×と書かれていたこともありました。見ていて精神的にダメージがありましたね。」

🗞なるほど。身近で見ていたからこそ厳しさを感じていたのですね。

浅田さん🔸「今だから言える話ですが、私が高校生頃になるとメーカーは海外生産に切り替えたがっていたこともあり、こっちが根負けするように持っていく節もありました。それを見ていたらやりたいとは思わないですよね。当時は両親も継がない方がいいと言っていました。」

🗞高校卒業後はどうされたのですか?

浅田さん🔸「物を作ることが好きだったので、芸術系の大学に入学しました。大学に入ってからも実家の手伝いはしていましたが、その時もいつか継ごうという気持ちはなかったですね。大学卒業後は営業をしたり、工場で勤務したりと色々経験しました。」

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🗞家業以外の仕事を経験した上で、家業に入られたのはどんな思いからなのでしょうか?

浅田さん🔸「家業へ入ったのは30歳頃でした。色々な世界を見た結果、家業だけでなくどこも厳しい世界だと感じたんです。あとは、若い頃は外で働きたいとばかり思っていましたが、家業がそんなに面白いことをしているなら手伝ったらいいのに、とよく言われていたこともなんとなく心にありました。」

🗞かつては反対していたご両親でしたが、その頃はいかがでしたか?

浅田さん🔸「当時は取引のあった大手メーカーが海外製造に切り替えていて、アサダスポーツとしてオリジナルブランドを立ち上げた頃でした。オーダーメイドの受注が増え、ある程度軌道に乗っていたこともあり、両親は受け入れてくれましたね。今から16年程前ですかね。」

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🗞16年前に既にオリジナルブランドを立ち上げていたというのは、周りと比べても早い方だったのではないですか?

浅田さん🔸「比較的早い方だと思います。当時三宅町で既にオリジナルブランドを立ち上げていた工場があって、その方々を第一世代とするならばアサダスポーツは第二世代です。既製品とオーダーメイドでは作り方やポイントが異なりますので、第一世代の方々にノウハウを教えてもらいながら取り組みました。」

🗞現在もオーダーメイドの受注がメインですか?

浅田さん🔸「そうですね。今はたくさん作ればたくさん売れるという時代ではないので、お客様に満足してもらうグローブを丁寧にこつこつ作っています。この点に関しては、父親とは喧嘩することも多々ありましたね。両親は量が売上に直結する時代を経験していますので、生産量を気にしていました。両親は高齢を理由に3、4年前に引退して、そこからは私1人でやっています。」

オーダーメイド品は3ヶ月後に本当の価値を発揮する

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🗞既成品とオーダーメイド品の違いを一番感じられるのはどんな点でしょうか?

酒井さん🔹「お客様の手に合ったグローブなので、フィット感が違います。特に私の場合は、3ヶ月くらい使い込んで育ててから最もフィットするように作っています。既製品はお店で試着するとフィット感を感じても、数ヶ月使っていると指がゴソゴソしてくることも結構あるんです。」

🗞それは何か計算されているのでしょうか?

酒井さん🔹「言葉にできない計算ですかね。言葉にするとしたら、私たちが作るオーダーメイド品は出来上がって試着するとキツイと感じると思います。そのキツさが3ヶ月後に馴染んで手にフィットしてくるんです。」

🗞色々な部分の微調整がフィットに繋がるのですね。

酒井さん🔹「稀にスポーツ量販店でも手型からグローブ作製を受けているところがありますが、大体が平面の手型なんです。私も平面のデータは取りますが、立体的な手の形も把握した上で作っているのでよりお客様に合ったグローブになります。この立体データに関しては、これまでの経験値による把握も重要だと感じています。数値には現れない特徴などはやはり目で見て判断する他ないですね。」

🗞作る場合はお客様に工場に来ていただいて、手型を取り製作に入られるのですか?

酒井さん🔹「来ていただいて型を取るのはもちろんですが、最近はオンラインでのやり取りも多くなってきました。遠方の方はなかなかお越しいただけないので、カメラ越しに手を見せていただいて製作することもあります。」

発信することで生まれた繋がり
数軒隣の浅田さんから、大阪の若者まで

🗞お二人は積極的にTwitterなどのSNSをやられていて、酒井さんはYouTube配信も行っていますし、お二人でYouTube Liveもされていますが、こういった活動をやろうと思ったきっかけを教えてください。

浅田さん🔸「3年前に、『おはよう朝日です』という関西の朝番組のコーナー『あなたの町を盛り上げ隊』で、三宅町が取り上げられました。そこでグローブ製造をフィーチャーした三宅町のPR動画や、オリジナルグローブを作るという企画を行ったんです。この時に、私と酒井くんは初めて話したんですよね。」

🗞3年前に初めてお互いの存在を知ったということですか?

浅田さん🔸「いや、存在はずっと前から知っていました。」

酒井さん🔹「アサダスポーツも浅田さんのことも知っていて、私の弟が学生時代に浅田さんのところでグローブを作ったこともありましたし、会社同士は徒歩3分くらいの距離です。でも話したことなかったんですよね。笑 そもそも職人同士交流するという雰囲気や文化がありませんでした。」

🗞そこまで近くにいながら長年交流がなかったとは!意外です。イベントで知り合ってから意気投合したのですか?

酒井さん🔹「2020年秋頃に、翌年に迎える100周年イベントに向けて実行委員会が立ち上げられたんです。そこへ徐々にグローブ職人も参加するようになって、更に職人同士が交流するようになりました。そして、とある日に浅田さんから“白のヘリ革を分けてもらえますか?”と連絡があって。笑 すぐに裁断して持っていったところから、更に距離は縮まりました。」

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🗞お醤油の貸し借りのような、材料の助け合いがあるのですね。

浅田さん🔸「よく助けてもらっています。笑 2021年7月25日に100周年イベントの一つがあって、その時に酒井くんがYouTube配信しているのを手伝ったり、一緒にライブ配信しました。」

酒井さん🔹「それが面白くて、そこから一緒に週一回配信するようになりました。」

🗞職人でありながら、外に発信していこうと考えられた理由は何でしょうか?

酒井さん🔹「まず、グローブ職人でSNSを使って配信している人がいなかったことと、普段使っているグローブを作る職人がいるというところを知ってもらいたいと考えました。」

🗞実際やってみて、どうですか?

酒井さん🔹「最初は自分たちのことを知ってもらうことを考えていましたが、思ってもみなかった繋がりが生まれました。YouTubeの視聴者さんからグローブ職人になりたいという相談を受けることも結構ありますし、グローブ職人を目指して実際に三宅町に引っ越してきた方もいます。」

🗞酒井さんの発信がきっかけで三宅町に引っ越してきたのですか?!

酒井さん🔹「つい先日、子供を迎えに行こうと町内を歩いていたら、原付バイクに乗った男性が横で止まって声をかけてくれました。話を聞くと、グローブ職人になりたくて、大阪から三宅町に引っ越してきたという方でした。笑」

🗞それは驚きですね!

国産グローブの需要を高め、職人を育てる場所を作りたい

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🗞グローブ職人になりたいという方がいるということは心強いですよね。

酒井さん🔹「すごく嬉しい話なんですが、若手育成に関しては正直自分たちでは受け入れる余裕がありません。来てくれる人がいるのにどうしようもないんです。」

浅田さん🔸「オーダーメイド品の価値は確かにありますが、市場全体を見ると流通しているのはほとんど海外製ですし、三宅町内のグローブ職人も激減しています。グローブ製造に必要な材料や道具を扱っている業者さんも含めて高齢化も進んでおり、厳しいものがあります。魅力を発信したいし、興味を持ってくれるのは嬉しいですが、本当は来てくださいといえる状況ではないんです。」

🗞来て欲しいけど受け入れられない・・・ジレンマですね。大阪から三宅町に引っ越してきた方はどうしているのですか?

酒井さん🔹「グローブ職人として雇うことができず、現状アルバイトをしながらグローブ作りを勉強しているところです。その方とは別に、趣味で段ボールグローブを作っている方が滋賀県にいるんですが、この2人を引き合わせました。今は定期的に集合して一緒にグローブ作りを勉強しているようです。この滋賀県の方も、いつかは三宅町でグローブ作りに携わりたいと言ってくれているのですが・・・なかなか厳しいです。」

浅田さん🔸「僕らの世代で何とか頑張って整えて、次世代を育てていかないと、200周年は迎えられないと強く感じています。」

酒井さん🔹「突き詰めると、人を雇う余力がないということ以上に、一から育てる余裕がないというのが深刻な問題です。その育成に関わる職人の負担を減らすため、私は三宅町内にグローブ職人の学校を作りたいと考えています。」

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🗞グローブ職人育成学校のようなところですか。

酒井さん🔹「はい。空いている工場などを借りて、引退したグローブ職人に講師になってもらえれば、こじんまりとでも形になると考えています。でもこれは我々だけじゃ力及ばないところがあるので、行政の方々と一緒にやっていかなければ達成できません。職人としてある程度のレベルまで育てる環境ができれば、自分たちでやっていくこともできますし、それならば受け入れたいという工場もあるはずなんです。」

浅田さん🔸「若手の育成は本当に今すぐなんとかしなければいけない課題です。三宅町でグローブ製造を続けていくには、来てもらうために外部への発信、そして来てくださった方を受け入れる場所を確保することが必須です。」

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🗞他に、課題はありますか?

浅田さん🔸「需要を高め、販路を拡大することです。三宅町産のグローブは、プロ野球選手など本格的に野球をやられている方々にはよく使っていただいているのですが、国内全体で見るとやはり圧倒的に海外製グローブが使われています。私たち作り手から働きかけて、国産グローブをもっと身近な存在にし、普段から使ってもらえるようにならなければいけないと思っています。若手を育成しても需要がない、販売場所がないということにならないよう、今後も色々な方法で存在感を示していきたいです。」

🗞お二人がやられているように、職人さん自ら働きかけることで魅力はさらに伝わると思います。

浅田さん🔸「そうですね。まずは楽しんでグローブを使ってもらうことから始めようと、定期的にキャッチボール大会を開催しています。イベントや発信などをコツコツ積み重ね、三宅町のグローブを広めていきたいです。」

🗞最後に、メッセージをお願いします。

酒井さん🔹「横の繋がりのなかった職人同士がこうして繋がり、発信することで世界が広がりました。それは我々職人から見たらちょっと奇跡に近いようなことなんです。三宅町のグローブをこの先も続けていくためには、若手の育成やブランディングなど課題もありますが、この先もコツコツやるべきことに取り組んでいきたいと思います。」


合同会社Craftermind
住所 奈良県磯城群三宅町上但馬186
代表 酒井真矢 
HP http://craftermind.net
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アサダスポーツ 
住所 奈良県磯城郡三宅町上但馬166-1
代表 浅田恒夫
HP https://miyake-takumi.com/category/baseball-glove/as/
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〜ものづくり新聞 後記〜

産業やものづくりが盛り上がるための要素の一つとして、地元の応援やバックアップは重要であると考えています。特に三宅町は町単位でグローブ産業に取り組まれてきたという背景もあり、町の特産品の一つだと思います。お二人が抱いている若手育成の課題は、地域産業を未来に残すという上でも職人の方々だけの課題ではないと感じました。

また、育成学校設立に関しては行政だけでなく、グローブを必要としている野球球団やスポーツ界の方々からの支援も大きな意味を持つのではないでしょうか。更にはグローブ職人だけでなく、バットやミットなど他の道具にもそれぞれ職人さんがいます。国産の野球道具を残すという視点で、様々な立場の人がまとまって国産野球道具の未来を考えることが重要なのではないかと考えた取材でした。

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