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私の手でグラスがもっとかわいくなる 世界に10人しかいない平切子の世界に飛び込んだ 椎名切子 石川 美幸さん

ものづくり新聞は、東京都江東区の椎名切子(GLASS-LAB株式会社)さんを訪れました。椎名切子は、1950年に椎名 三男(しいな みつお)さんが同地で創業した「椎名硝子加工所」の流れを汲み、三男さんの孫にあたる椎名 隆行(たかゆき)さんが2014年に創業したガラス加工専門店です。主に、平切子(ひらきりこ)、砂切子(すなきりこ)、カスタマイズグラスなどの企画・制作・販売を行っています。

平切子とは?

側面の花びらのような部分が「平切子」の技術 GLASS-LABホームページより

江戸切子の一種で、グラスの側面や下部をフラットに削る技法を使ったガラス製品です。主にガラス工房やガラス作家のお皿などの底を、平らにし安定させるために用いる裏方の切子技術です。

砂切子とは?

「砂切子」底面の紅葉の模様はサンドブラストによる加工、側面は平切子の技法です。
GLASS-LABホームページより

砂切子=平切子×サンドブラスト
平切子による加工と、サンドブラストによる加工を合わせたガラス製品です。サンドブラストとは、砂をコンプレッサーでガラスに吹き付けて削る技法です。

隆行さんの父・康夫さんは平切子、弟・康之さんはサンドブラストを得意としています。近年、製造や販売は椎名家の方々のみで行ってきましたが、2年前にはじめて椎名家以外の職人さんが加わりました。石川 美幸(いしかわ みゆき)さんです。今回は石川さんにインタビューしました。

事務職で入社 でも「職人になりたい!」

ーー椎名切子に入社される前は、どのようなお仕事をされていましたか?

美容専門学校を卒業し、最初は美容師として働いていました。でも、皮膚が弱くて手が荒れてしまい、薬剤をたくさん使う美容師の仕事ができなくなりました。その後、いくつかの仕事を経て、不動産情報サイトを運営している会社に入社しました。そこで当時は同僚だった椎名切子の椎名隆行さんと出会いました。

ーーそうだったのですね。

最初は別の部署でしたが、同じタイミングで同じ部署に異動になりました。私もその部署の仕事は初めてでわからないのに、「〇〇ってなんですか?」と立て続けに質問してきたのが椎名さんでした(笑) 質問攻めされて、それをなんとかして教えているうちに仲良くなりました。当時は会社の仲間としょっちゅう飲みに行っていましたね。

ーーそこから、どんなきっかけがあって椎名切子に入ることになったのですか?

椎名切子を立ち上げるために椎名さんが退職され、その後私も退職して別の会社で仕事をしていましたが、お互い退職してからも月に1回飲みに行く交流は続いていました。その時に事務の仕事を手伝ってほしいと声を掛けてもらったのがきっかけです。

ーー入社のきっかけは事務の仕事だったのですね。どんなことをされていたのですか?

ホームページコラムの更新だけでなく、テレビの反響がどのくらいあったか調べたり、メディア向けのプレスリリースを出したりと、マーケティングや広報の仕事をしていました。InstagramTwitterの「中の人」は当時から今でもやっています。

ーー広報やマーケティングのご経験はあったのですか?

未経験でした。椎名切子に入ってから勉強し、椎名切子で通販サイトを立ち上げる時は、商品写真を撮ったり説明文を書いたりしました。SNS更新など一部の業務は今でも続けていて、どれも経験はなかったのですが、写真や文章を書くのは好きなので楽しみながらやっています。

ーー切子職人になったのはどんなきっかけがあったのでしょうか?

ある時椎名さんから、後継者をどうするか悩んでいるという話を聞きました。椎名さんの弟・康之さんが継いでいるものの、康之さんはサンドブラストで忙殺されているため、お父さん(康夫さん)の技術である平切子を後継する人がいないということでした。それを聞いて、「私がやります!」と手を挙げたんです。

ーー椎名さんとしては、まさか!という感じだったのではないですか?

そうだったと思います。でも、事務の仕事やSNSをしているうちに、作る方にも興味が出てきたんです。それに、元々手に職を付けたいと思っていました。かつて美容師を志したのも同じ理由です。ずっと前に、「職人の仕事に興味あるけど、どうやったら職人になれるの?」と思ったこともあったので、チャンスだ!と思いました。

キラキラしたかわいいものが好き!

ーー子供の頃はどんなお子さんでしたか?

実は外で遊ぶのが好きなフリをずっとしていました。別に外で遊ぶことが嫌いなわけではないんですが、本当は家でゲームをしたり漫画を読んだりしたいのに、当時はオタクっぽいのはカッコ悪いみたいな時代だったので、外で遊ぶしかないっていう感じでした。 

ーーなるほど。実はゲームや漫画がお好きだったのですね。

当時はあまり大きな声で周りにゲームや漫画が好きだと言えなくて、遊ぶと言ったら外遊びという環境でした。でもずっと友達と外で遊んでると無意識に疲れてしまうみたいで、気付いたらその集団から離れてアリを眺めるような、そんな子供でした。

ーーおひとりの時間が大事というのは今も変わりませんか?

変わらないですね。あと、昔からキラキラしたものが好きです。例えばキラキラしたシールとか、子供の時は集めていました。コレクター気質もあるので、好きなものを集めることも好きでしたね。

ーー今でも何か集めていらっしゃるんですか?

『ジョジョの奇妙な冒険』が好きで、関連グッズを集めています。ハマると色々集めたくなっちゃうんです。

平切子の職人として

ーー現在、どのような仕事をされているか教えてください。

平切子という技法を使って製品を作る仕事をしています。平切子の研磨の工程が5つあるうち、4つを担当しています。「三番掛け」と言われる2番目の研磨作業は難しく、まだ綺麗に削ることができないので修行中です。
(三番掛けという名称ですが、2番目に行う工程です)

ーー最後ではなく、2番目の研磨が難しいのですか?

はい。ダイヤや砥石を回転させ、そこにガラスを当てて削るんですが、ダイヤや砥石によって粗さが違っています。その中でも特に「三番掛け」のダイヤは粗くて、ダイヤにガラスを当てる加減が難しく、ちょっと加減を間違うと「このくらい削る」とマークした部分を超えてしまうんです。そうなるともう戻せないのでNG品になってしまいます。ですので、今はこの工程はお父さん(康夫さん)にやってもらっています。

グラスに線で削る部分がマークされています。マークは水平を保つ機械を使ってペンで記しています。

ーー康夫さんと石川さんは、師匠と弟子の間柄になると思うんですが、一緒に働いていてそのあたりはいかがですか?

いわゆる師匠と弟子という感じではないかもしれないですね。「これやれるか?」と言われても、できそうになければ「できない」と言ったりしています(笑)。本当に色々なことを教えていただいています。必要以上に気を遣わず、自然体で仕事できていますね。

平切子職人として、江戸切子も勉強中

ーー平切子は江戸切子の一種でありながら、別物だとは知らなかったです。

そうですよね。江戸切子はガラスの表面に切り込みを入れて線のような模様をつける加工で、平切子は面を作るので機械もやり方も異なります。私がメインでやっているのは平切子ですが、江戸切子を週に1回別の師匠に習いに行っているんです。平切子の修行をやるようになってから、周りに勧められて江戸切子の修行も始めました。

江戸切子

ーーそうなんですね。椎名切子では線で模様をつける江戸切子の製品は作られていないのですか?

かつて、椎名隆之さんのお母さんが江戸切子の加工をしていました。お父さんと弟さんは自分のメインの仕事があるので、やっていません。ですので、私が江戸切子の技術を習得できたら、仕事の幅が広がるだろうなと思って勉強しています。

ーー江戸切子の師匠のところへは、どのくらいの期間通われているのですか?

2年くらい通っています。本当に奥が深くて、突き詰めたら修行が終わらない世界だと感じています。江戸切子展示会に行くと、こんなデザインどうやって考えるんだ・・・と圧倒されます。

ーーグラスのデザインはご自身で考えられるのですか?

基本的にみんな自分で考えていると思います。私は平切子と江戸切子を使ったグラスが作りたいんですよね。江戸切子は昔から作られてきた柄のパターンがいくつかあるんですが、それと平切子の良さを合わせたグラスです。

ーーひとつのグラスに平切子と江戸切子の両方が入っているものはないのですか?

要素として入っているものはありますが、2つの良いところがちゃんとわかるような製品が作りたいです。そのためには、平切子も江戸切子ももっともっと経験を積みたいと思っています。

平切子ってかわいい!

ーー現在の仕事に対する率直な感想をお聞かせください。

切子ってひとことで言っても、本当に色々あるなとつくづく思います。職人さんによっても思想や考え方が違っていて、捉えるのが難しい世界ではありますが、このままこの仕事を続けたいなと思っています。

ーー自分で考えてじっくり取り組める仕事がお好きなのでしょうか?

そうですね。好きだと思います。
加工前のグラスを見てるだけでもかわいいじゃないですか。それを更にかわいくできるのって楽しいなって、純粋に思います。

ーー子供の頃から、キラキラやかわいいものが好きという気持ちが根底にあるんですね。

この仕事をしてから友達に「昔からキラキラしたものとか、かわいいもの好きだったもんね。」と言われて、自分でも納得したことがあります。かわいいものを作るのって楽しいです。平切子の面のツルツルした感じとか、かわいいんですよホントに。

椎名切子、平切子を未来に残すために

ーー2年ほど仕事をしてきて、ご自身の中で変化や発見などはありましたか ?

自分の技術向上だけではなく、椎名切子や平切子の継続のことを考えるようになりました。椎名切子や平切子を未来に残していくためにはどうすればいいのか、私は何をすべきかと考えています。

ーー具体的なビジョンはありますか?

まず、椎名切子を残していくために、自分が成長していかなければと思っています。私、椎名家の人々がすごく好きなんです。サザエさんのようにアットホームな感じで、私にとっては理想の家族です。そんな方々と一緒に仕事をしていると楽しいですし、残していかなければという気持ちになります。お父さんがいつか引退するとなった時、私がなにもできなかったら申し訳ないじゃないですか。だから、次の世代に技術を伝えられる人間にならなきゃと思っています。

ーー方向性、目指すところが見えてきた感じでしょうか。

そうですね。江戸切子を勉強することも、平切子を極めていくことも、すべてそこに繋がります。特に、平切子職人さんは世界に10人もいないんです。この前お会いした平切子職人さんは、自分の代で廃業されるとおっしゃっていて、全体的にどんどん減っている状況です。それは悲しいなと思っていて、平切子のことを広めたり職人を増やすには、まず自分が上手になるしかないんですよね。

加工を施す前のグラス

ーー平切子と江戸切子、どちらの技術も磨いていきたいとのお考えだと思いますが、石川さんのお話を聞いていると、特に平切子への愛が強い印象を受けました。

平切子だけの製品ってほとんどないんです。柄を作りだす加工がメインだとしたら、平切子は脇役のような感じです。平切子ってまっすぐな面を作る加工なので、職人さんが手作業で作っていると思わない人も多いみたいで。私の友達も、私は江戸切子をやっていると思っている人がいるくらいで、平切子はほとんど知られていないと思います。でも私は、そんな平切子がかわいく思えて仕方ないんです。かわいいと思うものを知ってほしいし、手にとってもらいたいと思っています。

ーーこれからの目標や夢をお聞かせください。

最初の頃から椎名さんには言っているんですが、着物の帯留めを作ってみたいんです。切子の帯留め自体は元々あるんですが、すごく高価でなかなか手が出せないんです。もっと安価で手に取りやすいものを作れないかなと思っています。

ーー石川さんはお着物を着られるんですか?

着物好きなんです。あとは、ガラスでキラキラしたものが合うジャンルで考えると、コスプレ業界にも参入したいと思っているんです。

ーーコスプレ業界ですか!服や靴に付いているキラキラした装飾とかですか?

そうです!宝飾品っぽい飾りが多いので、使えるんじゃないかと思っています。昔私自身がコスプレイヤーだったんですが、自分で作れるものと作れないものがあるんです。買うときも安ければいいというわけでもなく、自分で作れないとなるとなにかで代用することも多々あります。コスプレに使える飾りを探している人も多いと思うんですよね。

ーーガラスの飾りだと高級感が出そうですね。

かわいいもの、カッコいいものを作りたいという気持ちがあるので、そういった需要があるならぜひ協力したいと思っています。

ーー10年後、どんなふうになりたいと思っていますか?

大きな野望はありません。自分の時間を楽しみながら、仕事に没頭できる毎日がいいなと思います。椎名さんが大きな野望をいつも持ってくるタイプなので(笑)私は、「じゃあそれやるか」といって淡々とやりたいです。将来的にこの工房を離れる時が来たとしても、別の形で協力したり、技術を教えたりしてこの業界には携わっていきたいです。

椎名切子(GLASS-LAB株式会社)
所在地 東京都江東区平野1-13-11
代表 椎名 隆行
会社HP  GLASS-LAB株式会社(グラス-ラボ)

あとがき

事前打ち合わせでお話を伺った際、石川さんはこんなふうにおっしゃっていました。「よく、テレビで日本の職人とかやってるけど、あれってどうやってなるんだろう?と思っていて。」

家族経営などごく少人数で切り盛りしている工房の仕事は、求人サイトなどで定期的に職人を募集することはあまりありません。石川さんは縁があって職人の世界に飛び込み、技術向上だけではなく、工房や技術の存続まで視野に入れてお仕事をされています。

取材をさせていただき、石川さんのような方が日本のどこかにまだたくさんいらっしゃるのではないかという気持ちになりました。ものづくり新聞のビジョンは『あらゆる人がものづくりを通して好奇心と喜びでワクワクし続ける社会の実現』です。この「あらゆる人」のひとりが石川さんだったのだと感じました。そのような方にも届く記事を書いていきたいと改めて思いました。(ものづくり新聞 中野涼奈)