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システムエンジニアから鋳造の道へ 新たな「吹き分け」を研究 般若鋳造所 般若雄治さん

今回編集部が訪れたのは富山県高岡市です。富山県の北西部に位置する高岡市は、市内の西側には山があり、北東側には富山湾が広がる自然に恵まれた地域です。市内には高岡大仏や金屋町の街並みなど歴史深い場所でもあります。ものづくりの観点から見ると、伝統工芸の高岡銅器に代表される鋳物(いもの)の生産が盛んな地域です。

高岡銅器とは

銅器とは、その名の通り銅を材料とする器具や道具のこと指します。鍋や釜などの容器以外にも、仏具、農具、火鉢、銅像なども含めて銅器と表すことがあり、高岡市で作られている銅器のことを高岡銅器といいます。

高岡銅器は、「鋳造(ちゅうぞう)」という製法で作られています。鋳造で作られた製品は鋳物(いもの)とも呼ばれます。

銅器の鋳造の流れ

①作りたいものの元となる原型(雛型)を作る
 作りたいものが器だとすれば、それと同じ形、大きさのものを木や粘土などで作ります。原型師と呼ばれる専門の職人が、完成図や設計図を元に作ることがほとんどです。

②鋳型(いがた)を作る
 原型に離型剤(型から製品をスムーズに取り出すための薬剤)を塗り、砂を重ね覆い固めていきます。砂は粘土や砂に和紙などを混ぜて粘り強さを出したものを使います。高温でドロドロに溶かした銅を流し込むため、高温に耐えられる砂を使う必要があります。十分乾燥させ、原型を外すと鋳型ができあがります。

③銅を溶かす
 不純物を取り除き、金属の純度を高めることを精錬(せいれん)といいます。金属を溶かし精錬させると共に、固体である金属を溶かして高温の液体状の金属にします。

溶けて液体状になった銅を型に流し込むため、取り分けている様子です
写真は鉄を扱っているところで、銅合金だともっと煙が上がります

④鋳型に銅を流し込む
 溶かした銅を鋳型に流し込みます。とろっとした液体を注ぐようなイメージです。銅が高温すぎるとできあがりの表面が荒れてしまうため、流し込む時の温度管理が重要です。高温のため危険な作業です。

型に銅を流し込んでいます。

⑤鋳型から取り出す
 流し込んだ銅が冷えて固まったら、鋳型から完成品を取り出します。砂でできた鋳型を壊して製品を取り出すようなイメージです。

⑥仕上げ
 銅器の仕上げは、研磨、彫金、象嵌(ぞうがん)などが代表的です。彫金とはタガネという工具を使い、金属表面を切ったり押したりして模様を彫り込む技法です。象嵌とは、表面を削り取り別の金属をはめ込む技法です。

傷を取り輝きを出すために研磨しています。

鋳造としてはここまでですが、高岡銅器はここから着色という重要な工程があります。

⑦着色
 金属表面に化学変化を起こし、金属を発色させます。銅の錆を人工的に発生させた青銅色(せいどうしょく)や、日本酒や食酸に鉄屑を入れた液体で染める鉄漿色(おはぐろしょく)などが代表的ですが、他にも多くの着色技法があります。

鋳造技術は銅器以外にも、さまざまな金属の加工時に用いられています。鋳造についてもっと知りたい方は、みんなの試作広場さんのこちらのページをぜひご覧ください。

銅は複雑で繊細な形状を作ることができる加工性の高さや、耐食性に優れていて雨風にさらされても朽ちることがないという特徴があります。また、鋳造という製法そのものも加工性が高く、素材と製法を組み合わせることで、細かな動きが表現できます。般若鋳造所は、高岡市で150年以上前から鋳造で銅器を作っています。

高岡ではちょっと珍しい 銅も鉄もやる鋳造所

ーー般若鋳造所はどんな鋳物を作っているのでしょうか?

茶道に使う道具や仏具が多いです。他にも、燗鍋(かんなべ)と呼ばれる酒器なども作っています。素材は銅をメインに扱っていますが、鉄も扱っているのはこの辺りではちょっと珍しいと思います。

般若鋳造所の方々が考案した形状、柄の製品はもちろんのこと、古代より伝えられてきた名品を勉強のために「うつす(同じように作る)」ことで作られた製品もあります。

ーー鉄の鋳造ではどんなものを作っているのですか?

例えば茶道で使う茶釜や鉄瓶です。茶釜は湯を沸かすための道具で、鉄を鋳造して作っています。一方、茶釜をかける風炉(ふろ)は銅製であることが多いので、般若鋳造所は茶釜も風炉も自社で作ることができます。

上の茶釜は鉄製、下の風炉は銅製

ーー銅のものづくりが盛んな高岡で、鉄を取り扱っているのは何か理由があるのでしょうか?

これに関しては祖父に聞いたことがあります。戦後、般若鋳造所は火鉢を作っていたらしいのですが、石油ストーブが世に出回ると一気に売れなくなったそうです。そこで、今後何を作っていこうかと考え、お茶道具を作る道を選びました。お茶道具を作るなら茶釜も作れるようにならないとダメだろうと研究を始め、鉄を扱うようになったと聞いています。

斑朱銅(むらしゅどう)

ーーこの銅器の柄や色はどうやって出しているのですか?

この模様は、高温で熱した炭を乗せ、特殊な薬品に浸けることで着色しています。炭を乗せたところが黒くなっています。昔からやっている斑朱銅(むらしゅどう)という技法です。

ーー高岡銅器、高岡仏具は分業制が発達していますよね。

そうですね。うちは鋳造の作業をし、できあがった製品は彫金をする彫金屋さん、表面を磨く研磨屋さん、着色屋さんなど様々あります。販売に関しても問屋さんがいて、売るのは問屋さんの仕事です。

ーー般若鋳造所の中ではどんな役割で仕事をされているのでしょうか?

2022年現在社員は6名です。お茶道具や仏具製造の注文に対して作るという一般的な流れがベースで、その他に作家活動もしています。現在作家として活動しているのは、般若保(はんにゃ たもつ)と般若泰樹(はんにゃ たいじゅ)です。この2人は親子で、保は私の祖父の弟にあたります。作家として、鋳造の様々な技法を使って作品を作り、展示会に出品しています。

左:般若泰樹(はんにゃ たいじゅ)さん、右:般若保(はんにゃ たもつ)さん

ーー作家活動もされているのですね!

保は日本伝統工芸展で最高賞の総裁賞を受賞したり、泰樹は日本工芸会会長賞を受賞したりと、そちらの活動も長きにわたって様々な賞をいただいています。

ーー販売は問屋さんがされているとのことですが、「こんなものを売りたいから、作って欲しい」というような依頼が来るのでしょうか?

そうですね。コロナ前は鉄瓶を求めて来日される中国の方が多くて、鉄瓶はよく売れていました。でもコロナで来日できなくなるとその勢いもなくなってしまいましたね。

般若雄治さん

ーー子供の頃から家業や鋳造について興味がおありでしたか?

鋳造作業の現場は子供にとっては危ないことも多く、自宅と工場も離れていたため、実はほとんど見たことがありませんでした。7、8年前に家業に入社するまで、どんなふうに仕事をしているのかわかりませんでした。

ーーそうなんですね。

今思えば、家に置いてあった花瓶は実はうちで作ったものだったり、母は茶道をやるのですがその道具は自社で作ったものだったりと、そういう意味では身近でした。でもあまり意識したことはありませんでしたね。

ーー般若鋳造所に入社する前のことをお聞きしてもいいですか?

入社するまでは、東京と転勤で移った大阪でシステムエンジニアをしていました。自治体や学校向けのシステムを作っていて、導入にあたってお客様と話すことも多い立場でした。

ーー学生時代はいかがでしたか?

大学時代に能のサークルに入っていました。金沢の影響を受けていて、高岡では結構盛んなんです。

右 般若雄治さん
大学時代に所属していたサークルでの発表会 
動画はこちらから(般若さん 35:00〜)

ーー能のサークル!珍しいですね。

私の父と祖父が昔から能の謡(うたい)と太鼓と笛を習っていて、その影響で私も太鼓と笛をやっていました。習い事としては高校で一度やめていたんですが、東京の大学で能サークルを見つけて入りました。

ーー今でも能はやられているんですか?

こっちに戻ってきてからまた再開しています。仕事終わりや休みの日に、先生のところに通って稽古しています。

ーー般若鋳造所に入ろうと決意したきっかけを教えてください。

学生時代含めて、就職した頃も家業に入る気持ちは全くありませんでした。前職で東京から大阪に転勤したのが29歳だったのですが、その節目で「これ以上遅くなると家業には入れないだろうな」と思い、父に聞いてみました。すると、入社して鋳造をやってくれという話があり決断しました。

ーー般若さんは現在どんな仕事を担当されていますか?

鋳造全般を経験しながら、勉強している最中です。あとは自分なりに新しい鋳造や製品作りにも取り組んでいます。

ーー新しい鋳造や製品作りについて教えてください。

吹き分けで作られた花瓶

昔ながらの「吹き分け」という技法があります。金属を溶かして鋳物を作ることを「吹く」というのですが、2種類の金属で色を分けるので吹き分けです。例えばこれは、明るい色が真鍮で、黒いのが黒味銅(くろみどう)という素材です。

ーー実際にどうやって金属を流し込んでいるのですか?

1人が金属を流し終わったら、すぐもう1人が金属を流し込んでいます。感覚で半分くらい入ったなと思ったら、次の金属を入れています。どこにどういう模様を出したいかを想像して入れていますが、出来上がるまで正直わかりません。

ーー思い通りにならないこともあるのですね。般若さんはこの技法を使ってどんな作品を作られているのでしょうか?

白×黒の吹き分け

金色と黒の吹き分けは昔からあるんですが、それを参考に「白と黒」の吹き分けに挑戦しています。白い素材は純錫(じゅんすず)で、黒い素材が錫にアンチモンなどを混ぜたピューター(白錫)という素材です。1000℃以上ないと溶けない真鍮などと違い、230℃くらいで溶けるので手軽です。

ーー型にそれぞれの金属を流し込んで、型から外した時点でこの模様になっているのですか?

鋳造直後はほとんど違いがないんです。仕上げるための薬品につけると黒くなります。硝酸という薬品に浸けてみたらピューターが黒くなったので、吹き分けをやってみようかなと思い作りました。

ーー実験や研究をされていて、黒く反応することを知ったのですか?

お客様から「錫を使った黒い品物を作って欲しい」というご依頼があり、どうにか錫を黒く仕上げられないかと研究していました。純錫は黒くならなかったのですが、ピューターは黒くなったのでその時の発見を活かしています。

高岡伝統産業青年会 通称:伝産(でんさん)

高岡市には『高岡伝統産業青年会(以下、伝産)』という団体があります。高岡の銅器産業を支える職人、問屋を中心とした集まりで、団体としては50年もの歴史があります。

ーー般若さんにとって伝産はどんな存在ですか?

この業界に入ったばかりの頃は知り合いがほとんどいませんでしたが、地元の同業種やそれに近い方々と繋がることができたのが一番の財産です。高岡は分業制なので、外注に頼らないといけない仕事も頼む先がすぐに見つけられるようになりました。

ーー伝産は40歳以下のメンバーで構成されていると伺いました。活気がありそうですね。

そうですね。一体感はあると思います。県外の展示会へ出展する際も、単独よりも伝産としてまとまっていく方が受け入れてもらえるなと感じています。

ーー伝産のメンバーはどんな方が多いですか?

昔は後継者ばかりでしたが、最近は従業員さんやデザイナーさん、広報担当の方など間口が広がっています。特に積極的に参加している方々は、何か自社に持って帰ろうという意識が強いと思います。

ーー全員が作り手ではないからこその広がりもあるように感じます。

それはまさにそうです。外部との繋がりをもたらしてくれたり、見せ方の工夫を教えてくれたりと今までなかった動きも生まれています。

ーー普段はどんな活動をされているのですか?

全体としての会議は月2回ですが、それ以外にも伝産内の委員会ごとに集まっているので、結構頻度は高いかもしれません。商工会議所や誰かの工場に集まっています。2022年は9月25日に『高岡クラフツーリズモ』というイベントがあり、今はそれに向けて少し忙しい時期です。

ーー今年の高岡クラフツーリズモは久しぶりのリアル開催なんですよね!

そうです。リアル開催ということで制約はありますが、参加者を5名に絞って贅沢感のあるバスツアーを企画しています。ツアーという形で工房を周り、見学や物作り体験をしてもらう予定です。

編集部が体験した「高岡クラフツーリズモ2022」のプレツアーのレポート記事は以下のリンクよりご覧ください。

身近な鋳物製品を作り、届けたい

ーー般若さんの今後の夢や目標を教えてください。

古くから分業制のものづくりで栄えてきた街ですが、工場を畳む人も増え、昔ほど分業性がうまく回らなくなってきました。そんな状況になった今、自社製品を作り、自分たちで売れるようにならなければいけないと感じています。自社製品としてもっと身近なものを作り、直接お客様に届けていきたいです。

ーー鋳物製品を使ってみたいと思いつつも、扱いが難しいのではないかと少しハードルを感じてしまいます。

IH対応のものなどもありますが、錆びたらどうしようと考えるとハードルが高いですよね。扱い方はなかなかイメージが湧かないと思うので、自社製品を試しに使うことができる場所を作りたいです。実際に手に取って鋳物の良さを感じてもらいたいです。

ーー技術的な部分ではいかがでしょうか?

新しい企画や製品も、ベースにあるのは昔から受け継がれてきた鋳造の技術です。それができるところも結構減ってきてしまっているので、絶やさず身に付けていきたいです。

般若さんを中心に、真鍮やアルミなどの素材で作った『鋳物風鈴』も自社で手掛けられています。

般若鋳造所
代表 般若 博
所在 富山県高岡市長慶寺1000
会社HP  般若鋳造所